旭さんとの思い出
30代の時に知り合った友人は当時5歳だった。初めて会った時には既に、小さいお子さんと接している感覚というよりも、一人の音楽家と出会ったような気持ちになっていた。それからしばらく、文通をしたり、曲を送ってもらったり、、、。そして14歳で発病されて、最後に会えたのは15年、鎌倉に車をぶっ飛ばした記憶が蘇る。無性に会いに行かなければと思った。ご家族の深い愛情に包まれて、16歳の生涯を閉じた作曲家は、聡明な彼の音楽に共感する多くのアーティストは皆、彼とのハッピーな出会いの記憶と共に生き続けるのだ。作曲家というのは本当にすごいなと思う。作品が生き続けるのだから。出会った頃は、今の私の息子と同い年だから「旭君」なのだけれど、今、元気でいたなら22歳。「旭さん」は今も作曲をし続けているような気にさえなる。全く知らずに失礼していたことも、また多くの出会いや、そのかけがえのない時間を、毎日新聞の小倉孝保さんが素敵なタッチで目に見えるように著わされた。多くの方に手に取って頂きたいと思う。「才能はモーツァルト以上」16歳で亡くなった天才作曲家・加藤旭の本当の実力 視力を失いながら書き上げた一曲 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) 出会いに感謝。