寛容ということ
ここ2週間ほど殆ど熟睡が出来ていない。雨の1日、どうやら風邪をひいたようだ。引くペースが速いぞ?そんな暇は無い。自らの立場で決すること、成すべきことの内容が責任の度合いを深め年々大きくなっていく。物事の結果にはプロセスがある、それが自分の人生も人の人生にも左右したりされたり、何だか人に関われば関わるほど真実も虚構も当然見えてくる。何が良いのかどうあるべきか普く考えるのも、前向きでありたい証拠だろうか。NHKのニュースの中で先に亡くなられた免疫学者の多田富雄さんのことが取り上げられていて、病気で倒れられた後に、話すことが出来ない中で言っておられたことが印象に残る。「長い闇の向こうに、何か希望が見えます。そこには寛容の世界が広がっています。」その免疫学的見地からの寛容という意味と、人間の社会における寛容の姿、今置かれている現実に直接訴える言葉として飛び込んできた。ジェンキンスのミサの一つのテーマにもなり得るし、キリスト教の中でも大事に扱われる言葉だ。留めておこう。(27日0:20)
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