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March 2010

オーケストラの日 マイタウン広響

今月三度目の広島、今日はオーケストラの日とのことで全国各地で演奏会が催された。ANAホテルから会場のアステールプラザまで車で5分程、広響さんの練習場も併設されている。本番前に地元Jリーグのマスコットと写真撮影。先日ご一緒した天野陽子アナのきれいな進行で会場は盛り上がり終始和やかなムード。広響の皆さん8回公演ありがとうございました。指揮者コーナーはマスコットも乱入してさらに盛り上がる。サイン会も相当大勢のお客様とコミュニケート。宿に戻りホテルの中華でひとり反省会。雨が降っていたが傘を借りて祈念公園へ。再び来れることを祈る。コンビニでちょっと買い物、その間に傘を持っていかれる。ちょっと淋しい。悔しいので一本買って返す。麻央ちゃん最終回を見届ける。パソコンで諸々書類を仕上げる。また広島に戻って来れますように。多くの出会いに感謝。(2日8:42)

西洋と東洋の医学

まだ少し寒いが桜はめげずに花を開く。大学病院の先生に紹介して頂いた針のお医者さんの所へ。昨日の所も今日も偶然にも同じ江戸川区内、家から車で10分圏内のところにある。マッサージ士や鍼灸士を養成する大きな専門学校の副校長をされていて大変な人格者だ。ご本人いわく西洋医学とは相容れないものがあるとは納得しつつもその確かな腕にただ驚き入る。これで西洋東洋いろいろと診てもらったが、今まで以上に元気に指揮台に立てるよう鍛えつつ精進しよう。フアンだった麻央さんも明日でZERO卒業かあ。きっとこれからの歌舞伎を発信する良い役割も担えるに違いない。今年度もあと一日。(31日広島リムジン14:25)

公園の風景

昨日は広島から帰ってなかなか寝付けずパソコンと格闘。あとわずかで3月も終わり。いろいろやっておきたいことがあったのだけれど、中々予定に組み込むのは難しい。独り横綱の今場所把瑠都の活躍は目覚ましかった。そういえばかつて彼の故郷エストニアで国際コンクールの指揮を仰せつかったが当時情勢が悪くて流れてしまったことがあったな。チェチェン紛争然別争いは絶えない。宇宙から見た地球は国境なんて発想も消える美しいものなのに。子供たちが公園で元気に遊んでいる景色を久しぶりに見入った。混沌とする世の中の目指す先に求めるべき姿は何処でも子供たちの笑顔だ。再びリハビリへ。小学生から年配者まで元気になるためにみんなトレーニングしている。ようし。(リムジン31日11:15)

マイタウン広響 安佐北区民文化センターの巻

ベルリンもいよいよ夏時間。殆ど寝付けずに朝を迎える。外は良い天気。桜のつぼみはオーダーストップぎりぎりに朝食。今日の会場は車で30分強の安佐北区民文化センター。3年前も伺ったかな。ストレッチなんぞをしていざ本番。ライブならではのやりとりもあったりしながら今日の司会FMちゅービーの内海雅子さんはベテランの味。指揮者コーナーはカンカンを3拍子みたいに振る子や3歳の坊やの登場と微笑ましいステージ。終始和やかなムードのコンサートになった。サイン会もまた来てねの呼び掛けにまた来ますなんて言ってくれる親御さん。嬉しい限りだ。ぷっちょをお土産に持って来て下さった方、ありがとうございました。先日いらしてまた今日も運んで下さるお客様も。中筋駅からリムジンで広島空港。先日とは違うお好み焼き屋でひとり反省会。今月31日のオーケストラの日の公演もいい時間が創れますように。(リムジン葛西界隈22:53)

マイタウン広響 佐伯区民文化センターの巻

3月最後の土曜日、穏やかに晴れている。昨日のリハビリで少し使った身体を休めようと睡眠を摂った。先週末と同じ時程で羽田から広島へ。飛行機の中でおにぎり。機内誌を読んで気分は違う国に飛んでいく。広島空港からリムジンバスで1時間。新幹線も飛行機も結局のところ広島に関しては殆ど掛かる時間は一緒だ。定宿ANAにチェックインをして一息吐く間もなく、お迎えの車で佐伯区民文化センターへ。近くの造幣局の桜は見事だそうだが、ちょっと早いかな。2時間前位に会場入りしていたが、大勢のメンバーが早くからウォーミングアップしている。本番前のご挨拶今日の会長さんは以前小生にメールを下さって、このコンサートの紹介を送らせて頂いていた。いよいよ本番、前日定期演奏会を終えたばかりの広響さん、そんなところは微塵も感じさせない、誠実なサウンド。愛すべきオーケストラだ。今宵の司会はテレビ新広島の天野陽子さん。丁寧な運びで進行。お客様もとても良く反応して聴いてくださった。指揮者コーナーは3年生の女の子と5歳の男の子。今日も立派な指揮だった。それにしてもよく手が挙がる。指揮者、やってみたいんだなぁ。カープは今日勝って大盛り上がり。サイン会は大勢待って下さって少しだけれど会話を交わす。嬉しい時間。クラシックの、オーケストラのファンが一人でも増えて応援してもらえたら幸せなことだ。ホテルに戻って祈念公園に手を合わせに行き、近くの中華でひとり反省会。明日も良い時間が創れますように。ホテルの近くの白神社に咲き始めた夜桜がまぶしい。皆さまよい休日を。(28日0:05)

リハビリテーション

久方ぶりの青空。やられた!ドイツのシュピッツコールみたいな家のプランターになったただ1つのキャベツ、鳥に先に味見をされた。急遽収穫をしてまずは野菜炒めの具に。甘くて美味しい。昼前に順天堂で紹介された整形外科へ。何と家から車で10分強。細かく見て頂いた。腰痛と肩の治療、20年来自然と身に付いてきたフォームを見直す機会でもある。診察の後で、別室へ。そこはトレーニングとリハビリテーションの両方の設備を持つフロア。年配の方もおられるが若いアスリートたちも大勢居る。薬や、マッサージといった対症療法ではなく必要な筋肉を鍛えて改善させていくもの、ギックリ腰をやって以来あちらこちらのバランスが崩れていたが改善させられるかな。およそ3時間の体幹を調整するトレーニングは結構きつい。家に戻ってとんかつを挙げ例のキャベツをみじん切りにして添える。どっちがメインだぁ?レバニラ炒めを甜麺醤、コチュジャン、オイスターソースで味を付ける。合格。今日の食に感謝。(27日14:20)

待ちわびる春

今日も朝から雨。地元で用事を済ませる。一雨ごとに春を感じるなどと言うが、むしろ逆行しているような寒さ。知らぬ間にベルリンの方が春らしくなって来ているようだ。日中は20度近くまで気温も上がり、6時前に日の出、6時半頃に日の入りと。住み始めた丁度1年前を思い出す。待ち侘びていた太陽にはしゃいでいる市民の姿が目に浮かぶなぁ。長岡もこの間、寒さは和らいで来たようだったが、同じように春を待ち望んでいることだろう。母校もとっくに卒業式を終えて高校は最後の教え子たちも卒業だ。月日の経つのは本当に早い。もう3月もおしまいに近づいているなんて。指揮の手ほどきを受けた師がベルリンで演奏会をするそうだ。残念ながら行くことは出来ない。盛会を祈るばかりだ。なかなか日本で予定が入っているとあちらへ戻るきっかけが掴めない。本番を頂くことは有難いこの上ないことだけれどいろいろと吸収しつつ身体も頭も柔軟で居たい。ドイツのキャベツみたいに縦に細長いキャベツがプランターに1個立派になっている。う〜ん。(27日0:55)

花冷えの東京

朝から雨が降る。気温も下がって冬に舞い戻ったようだ。お茶の水へ順天堂医院で肩の診察。より決め細やかな治療を考えて下さり、小生に合った治療法とその専門医を紹介していただく。誠意があって有難い。石丸電気へ行って見る。どうやら老舗のクラシック売り場も縮小なのかビルも統合されるようでセールをやっている。もうひとつの予定に間に合わず昼食に変更。評判のとんかつ屋を訪ねるも2軒とも昼休み。歩いて神田界隈のカレー屋さんに入ってみる。様々な香辛料を使っていい味。一度家に戻って車に乗り換え、都内某所へ。何だかガラスは曇るし雨が粒を伴って霰混じりだ。江戸川橋の桜も準備万端、冷たい雨に出番待ち。新東京タワーは結構立派に成長してきた。池袋のオフィスの賃貸契約更新かぁ、活用を考えよう。庭の椿の花もこの寒さには身動きしたくない様子。(25日1:15)

美味しいもの

長岡の定宿で朝食。チェックアウトをして溜まったものを解くべくマッサージへ。駅ビルは新しいお店も入って面白い。2種類のメロンパンを売るパン屋さんは最近しばしば立ち寄る。新潟B級グルメ、フレンドのイタリアンを買って新幹線で昼食。以前にも登場しているがソース焼きそばっぽい麺の上に甘めのミートソースのようなものがかかっている。時々思わず求めてしまう。東京駅の駅チカを見て周り、誘惑を振り切り新小岩へ。誘惑に負けて船橋屋の葛餅を求めて帰路。寒い東京。バスに乗って地元の停留所へ。メインの交差点は町並みを変えるべく、昔から慣れ親しんでいた店も殆ど消えていく。新潟から美味しい豆腐が届く。おからがあったので、卯の花を作ってみる。にんじん、しいたけ、油揚げ、たまねぎ、長ネギ、う~んヘルシー、初めてにしては上出来だ。栃尾の油揚げはビールのお供に最高だ。楽譜やら今後の仕事に関わる手紙類が沢山届いている。広島のお客様からのメールも。東京は桜の開花?この寒さで花には可哀想だがゆったりと楽しめるといいなぁ。晩ご飯を食べて仮眠をしてしまったぁ。(25日0:50)

長岡の休日

休日の朝、上越新幹線は帰省や休暇の客層。長岡に正午過ぎについて、リリックホールへ。同級生の草川君と長岡市民合唱団の集中稽古へ。前半日本のうた。全容が見えてきた。もみじ饅頭を配って、後半オルフを見る。皆で揃って練習する前に各々の準備は不可欠。一通り聴く。次回は丁度一月後だ。激しく期待をしよう。昼食を買っておいたのだが食べず仕舞いで着替えをして、次の予定へ。来年3月に公演する市芸術文化振興財団主催のカール・ジェンキンス「平和への道程」公募合唱団の発会式。大勢の市民の皆さんが応募をしてこられた。事務諸連絡、団長選任に続いてこの作品について紹介をした。聴き易く楽しく練習が進むことと期待できるが、実は作品のアプローチの多様性、テキストの背景は決して軽くはない。参加されるメンバーがいろいろな興味を持って本番に温めたものを披露出来るよう取り組みを考えたい。会食。ホテルへ。う~ん長い一日だった。(24日3:45)

マイタウン広響 西区民文化センターの巻

春の嵐から一夜明けて、晴れ間も見えるがちょっと寒い日曜日。全8公演の後半戦、今日は西区区民センター、この会場は初めて伺う所だった。そう言えば前回3年前に初めてマイタウンを仰せつかったときはもう一人の指揮者と半々だった。今日のホール、客席も舞台も間口が広く面白い。今日の司会は中国放送の藤村伊勢さん、自然な流れで進行。指揮者コーナーはなかなか毎回盛り上がる。オケのメンバーも毎回を楽しもうと雰囲気作り。いいオケだ。そうかぁ、このコンサートが始まった1991年はカープが最後に優勝したんだぁ、と何だか良く分からない感慨に浸りながら、応援歌も盛り上がりを見せる。終演後はサインコーナー、今日も沢山来て下さる。団員さん、皆素敵なサインを準備していて、小生も何か考えねばと。広島バスセンターに出てもみじ饅頭を大量に買い占める。空港で遅~い昼食、お好み焼き。帰りのANAは揺れに揺れた。朝は欠航もあって心配したが、無事帰京。リムジンも直ぐに乗れて、帰宅後Rのチケットを予約しに出かける。お風呂に入ってEBISU。次は週末に再び。(24日2:50)

マイタウン広響 安佐南区民文化センターの巻

暖かい穏やかな陽気の広島。それも夕方までは。朝はいつものようにANAホテルの和朝食を美味しく頂く。昼過ぎにベッドメイクをしてもらう間、近所で讃岐うどんを昼食に頂く。ホテルから移動を始めた四時半頃空が何気にどんよりし始める。中筋駅から程近い今宵の会場、安佐南区民文化センターは開演前ぽつりぽつり始まってしまった。それでも会場は大盛況。今日の司会は広島テレビの糸永直美さん。新人さんのようで初々しかった。演奏途中に証明がダウンしかける。今日も大勢の客様がいらしてくださった。20年に亘ってこの巡回コンサートが続いていることは特筆すべきことだ。今回の目玉でもある1991年ヒットメドレー、踊るポンポコリンに始まり、少年時代やI Love Youなどのヒット曲。当時音大を出て、仕事を始めた頃の思いでも蘇る。サイン会はまた大勢の親子連れが待って下さった。子供達や親御さんとのちょっとした会話を交わす。ホテルに戻ってちょっと淋しい晩ご飯。(24日2:30)

マイタウン広響 南区民文化センターの巻

少し早めにでてリムジンバスで羽田空港へ。久々にバスで飛行機まで送迎。手配に手間取ったのか既に出発時刻。20分遅れながら飛行で取り戻す。取り戻せちゃうなら所要時間短縮してくれたらええのに。ホテルで宅配便を受け取り演奏会場へ。ゲネを経て本番。お客様が素敵な雰囲気を作って下さる。親子でくつろぎながらのコンサート、オーケストラもいいサウンド。楽しんで頂けたかな。今回の司会は広島FMの中川真由美さん、ラジオだけではもったいない。サイン会はもの凄い数のお客様。「少し痩せられました?」と聞かれ、びっくり。どなただったかなぁ。団員さんにお誘いを受け会食。最高。広島に5年位寄せて頂いて初めてかも、美味しいお店。裏メニューの卵かけご飯も、にんまり。宿に戻って祈念公園へ手を合わせに行く。(21日13:10)

菜の花

春だ。外に買い物に出掛けようかと思っていたのだけれど、電話とインターネットでショッピング。正月にスーパーで求めた根っこ付きの小松菜、葉だけ使い根をプランターに植えたものが新しい柔らかい葉が成長し幾度と無く食卓に上る。菜の花になったばかりのを茹でてざるうどんと味わう。にんまり。明日からの広島の準備をしつつたまたま長岡での来年の公演で取り上げるテキストを調べる。峠三吉著原爆詩集を読み進める。音楽に使われているのはごく僅かな部分に過ぎないが、当然作曲家はそこを選び出すプロセスがあっただろうから背景を知っておきたい。どうやらイギリスの詩は出典が多くてなかなか複雑だ。作曲家にまた会いに行って来よう。広島で着る舞台衣装を近所の宅配業者に持ち込む。無事着きますように。(21日12:50)

正信偈

伯父の告別式に参列する。今日も正信念仏偈と言われるお経が唱えられた。小さいときに聞き馴染んでいたので小生にとっては音楽そのものだ。調べると洋楽で言うd調で唱え始められるのだそうで、中身もさることながら発声やその唱法にも興味が沸く。有難いという気持ちにさせられるお経だった。大らかな伯父の表情が思い浮かぶ。合掌。出棺を見送り、失礼をして次の予定に向かう。ジャパンアーツ、財団と打ち合わせ。漸くお陰様で、来年度はほぼ、さらに次の年度のお話をいただいている。ただ前に進むのみ。(18日22:05)

平和な世界

葛西に出て用事を済ませる。帰りにヱビスをゲット。夕方から両親と共に車で千葉の花見川へ。週末亡くなった伯父の通夜へ。音楽の好きな伯父はかつて小生が上野で指揮をした第九にも足を運んでくれた。かつて空尉を務め戦後はソニーの要職と、激動の昭和を生きた人だった。故郷大分から親戚の菩提寺の住職が心に沁みる法要を営む。たまたまこちらも真宗で子供の時に聞いていてかつては半分くらい覚えていたお経があげられる。こんな時にしか従兄弟たちに会えないと言うのも淋しいものだ。安らかに。

長岡で来年3月に日本初演をする曲のテキストの出典を求めて調べる。中には峠三吉の原爆詩集が含まれる。辛辣な内容に涙せずにはいられない。作品も表面的な平和讃歌ではなく、平和とは何か、歴史が残した平和へのプロセスを多角的に考えさせられるものだ。ミサの典礼の形を残しつつ、前述の広島の空を歌ったものや、イスラム教礼拝の呼びかけもあり、演奏に結びつける過程で歌うだけでなく、準備を通じて平和について語り合えるといいと考えている。(18日20:05)

日本で働く外国人

目が腫れぼったく、鼻も暴れていたので久々に耳鼻科へ行き、薬を頂く。点鼻と点眼薬も一緒に処方してもらう。このお医者はサイトで見つけたのだが、待合室の混み具合を携帯のサイトから確認できるようになっているので、待ち時間が無駄にならない。週明けとあって朝から物凄い患者さんの数、それでも丁寧に診てくださった。

ある外資系家電メーカーに商品の注文をかねて問い合わせをした。電話の対応に出たのは中国人の女性。それが手際も良く説明も的確で見事な仕事ぶり。以前にベルリンから日本へパソコンのウィルスソフト会社へ問い合わせたときも中国人の女性が応対してくれた。その人も殆ど言葉に問題なく対応。いつだったか、大手銀行のカスタマーサービスからの電話で日本語の相当怪しい日本人がいたが、余程日本人の社員より出来が良かったりする。契約か、正規社員か分からないが、勉強もしているだろうし優秀な人材はどんどん活躍の場を広げてくるだろう。(18日17:40)

花粉の季節

今年に入って求めて来た椿の苗は上品なピンクの花を沢山咲かせた。小さな苗木なのにちょっと多いのではと思わせる蕾が生っている。桜の便りも聞かれるようになり、花粉もいよいよ猛威を振るいはじめている。何処からやってくるのか分からないが、今年はくしゃみのみならず目に違和感が出ている。ベルリンはヘーゼルとハンノキが活発だそうだ。日本では余り馴染みのない木々の花粉もちょっとおしゃれに響いてしまうようだが、これって20年前は流行っていたかなぁと思わず振り返る。最近使っているマスクはメガネが曇らないという優れもの、と思いきや鼻のところに可視できる穴が開いている。何だかそこから高濃度の花粉の塊がズポッっと吸い込まれそうで考え物だ。池袋のデパートは賑やかだ。ドイツ発祥のスポーツ用品メーカーの小売店を覘く。見ているだけで元気が出てくる気がする。気だけ。(18日13:35) 

日本の味

朝、家のことをするために早く目覚める。朝食を摂り2度寝。神田で用事を済ませ、昼食に近くの蕎麦屋へ飛び込む。これが中々美味しい所だった。少し太めの手打ち蕎麦、天ぷらと一緒に頂く。日本人だなぁ。池袋に出て、デパートに車を置き用事を済ませる。本屋に暫く佇む。その後、とんかつを食しに出向く。霜降りの豚とでも言おうか、頑なな牛より余程美味。これまでの5本の指に入るかな。そう言えばベルリンで無性にとんかつが食べてくなって、パンを削って衣を作り、豪快な肉の塊から作ったなぁ。肉肉しくて?あれも美味しかった。カロリーオーバーだな。一之江小学校時代の同級生からハチャトゥリアンの愛弟子寺原信夫先生の話題を記した拙ブログのコメントを頂く。やっぱりあの先生の印象って強かったんだな。きっと他にも覚えている同級生が居るに違いない。飛び出せ地球!だったか宇宙!みたいな、先生自ら作られた歌を全校で歌った記憶がある。ピアノの伴奏をしたのも覚えているのだが、楽譜が見つからない。味のある歌だったな。皆様良い休日を。(14日3:30)

ブログ三昧

花粉の飛ぶこの季節、目がしょぼしょぼ、鼻水だら~り、その上、確定申告やら何やらで頭が痛い。近所の銀行へただ引き落とされるだけの寂しい通帳の記帳に行く。かつて口座を作るとき「どちらのデザインにしますか?」と聞かれ思わずかわゆい柄のを選んだ自分がいたのをふと思い出す。屋号「船橋洋介ミュージックオフィス」を立ち上げた時のものだ。10日以上溜まったブログを一気に発信する。どうも本番前とか、徹夜の文章書きの時に、滞り初めてしまうんだなぁ。でも最近、その日のことは単語や短い文章で印象を残しているので直ぐにやる気になればアップするのだが。来訪者100名を切ってしまうとちと寂しい自分もいるようだ。その日が終わる時、眠くなる前に書いちゃうタイミングが難しい。そして今日はベルリンの部屋をシェアして下さる人を探しに、コミュニティサイトに情報を載せる。場所と最寄の駅、バス停から30秒だとか、近くにスーパーが3軒あるとか、貸すのは7畳位のフローリングに共用のシャワー洗濯機・15畳位のダイニングキッチン付きだよ、などちょっと良さげに書いてみる。いい人が現れると嬉しいのだが。(14日3:00)

池袋の今

今日は2度目の順天堂。准教授の先生は的確なアドヴァイスと必ず、何か質問はありますか?と患者の不安を払拭する姿勢を見せてくださる。余り薬は使いたくなかったが、相当辛いときに飲むものが身体に合うようで上手使っていこう。池袋に出て、銀行に立ち寄ったり街を歩いていろ、毛糸やら生地の老舗デパート・キンカ堂が倒産していた。淋しいなぁ。閉められたシャッタにーはありがとう!とか早く戻ってきて欲しい、と言ったこの地に根差したお客の声がいたるところに張り出されていた。かつてアルカディア少年少女合唱団を立ち上げた時、衣装を作る生地を自ら探しに行ったのを思い出す。東口の路地裏がやけに寂しい。店じまいをしている商店が多い。カメラのさくらやも店仕舞。三越にはヤマダ電機が大々的に入り様変わりは激しさを増す。立っては消えるサイクルの早いラーメン店が犇めく中で、恐らくブームの火付け役となった2店、光麺と屯ちん、今日は久々に後者へ昼食。美味しかった。暖簾分けをした東池袋のかつての老舗はどこも今一だ。名前だけでも、宣伝だけでも当然長続きはしない。地道かつ大胆に、自らに申す。(12日14:00) 

デパチカ

良い天気。電車に乗って淡路町界隈へ。用事を済ませ、そう言えば先日の豆腐屋やさんを思い出し、立ち寄る。お目当てのバケツ豆腐をゲット。美味しかったがんもどきも一緒に。一度家にそれを持ち帰り、再びカムリに乗って新宿へ。予約を入れておいたマッサージ、どうやらここは。オリンピック協会から認定されていて選手のケアをしているようだ。今日も2時間余り丁寧に見てもらった。伊勢丹の駐車場に止めて置き、伊勢丹に行って見る。地下の食料品売り場が素晴らしい。思わず時間を費やす。お菓子の売り場もワインも充実している。カロリーの高そうな惣菜も目を楽しませる。池袋に出て河合楽器のお店で同級生と会う。元気そうで何より。今の音楽教育のあり方、音大卒業生の動向を語る。子供の数も減り、どこの音大も経営が難しくなる状況の中で、卒業していく学生をどう導いていくのか、その経営手段や社会との関わりが更に求められている。母校は果たしてビジョンを持っているだろうか。(12日15:20)

雪の東京

長岡から新幹線、上野に立ち寄り、昨夜リサイタルを開いたYさんに差し入れを届ける。いつも降りる駅のひとつ前からバスに乗り帰宅。道中、年々様変わりする街の風景をしみじみ見ながら。目印だったような昔からあったお店も消えてしまったり、なるほど、カムリのナビに道が映らない訳がわかる。提出する文章の中身をこの1週間考えていたが、中途半端に字数が限られている。言いたいことを全て込めるのは困難。締め切りまでちょっと発想を変えてみよう。え~?カムリの頭が真っ白。雪がうっすらと降り積もる。植物もこう、ころころ気候が変わると調子狂うだろうなぁ。咲いちゃった花をつぼみにもどすことも出来ないし。人もこの気候に順応させるのは容易ではない。雪からザーザー雨に変わってきた。一雨ごとに落ち着いた穏やかな春に向かっていくんだろう。(12日13:40)

  

長岡の稽古

花粉も本格的に飛び始め、いつものように気にしないを通してみる。今年は鼻より目にきている感じもする。今はスギかな?ベルリンはヘーゼルやハンノキが盛り上がっているようだ。そう言えば昨年いつもと違うむずむず感だったかな。土曜日の公演を聴いてくださったお客様から次々とメールが届く。嬉しいなぁ。午後は移動を初め長岡へ。少し早めに着いてホテルへ向かう間、コーヒー店とたい焼き屋に立ち寄りお持ち帰り。ホテルで一服。7時からの稽古は本番のコンサートホール。今日は6曲からなる高田三郎作品は敢えて1曲だけ。一回の練習をどれだけ受け止めて次につなげていけるかが大事なところだ。オルフは通したら歌は20分前後だけれど音符も言葉も多い。早く表現をすることを楽しめる域に。あと2月、小生の稽古も後4回か。リリックホールは合唱、室内楽・アンサンブルにうってつけのホールだ。パーカッションのアンサンブルも今から楽しみ。また寒い夜。霙のような天気。宿に戻って原稿書きを再び。頂いた美味しいクッキーに舌鼓。夜、甘いものを食べてはいけません。(12日5:20)

コミュニティーサイト

3月最初の日曜日、寒い朝だった。 昨夜は本番を終え家に帰ってからパソコンと格闘。明け方休む。遅めの朝に起きてヨーロッパでの活動に要した収支をまとめる。海外での生活は思いのほかお金が掛かった。相当節約生活をしていたつもりだが、基本的なところとコンサート料金、何れも日本よりは少し安いような気もするが、勉強だけしている生活は出て行くばかりなのは致し方ない。ベルリン滞在中はコミュニティサイト「べるりんねっと789」を活用している。日本にいても最近の様子をキャッチすべく開いてみるのだがこれがなかなかよく出来ていて、何処で仕入れるのか、日本では余り取り上げられていないニュースも興味深く知ることが出来る。今日はフィルハーモニーに程近いポツダム広場のハイアットでポーカー会場の強奪事件だそうだ、さらに日本人が登場するビールとドイツ版ポッキーのコマーシャルの話題、日本人をどう見ているのか微妙なものもあるけれど、面白い。いよいよ長岡でカール・ジェンキンスの作品を初演するまで1年となった。少しずつ準備を始めていこう。(12日4:40)

障害者のためのふれあいコンサート

昨日のうちに衣装を預け、かばんひとつに楽譜と指揮棒を入れて上野に向かう。ゲネプロはでバランスを確認。進行の打ち合わせをする。都の担当者と名刺交換。今年で26回を迎える表記のコンサート。2年前にも指揮を執らせていただいたが今回はほぼ満席に近いコンサート。朝から天気が思わしくなかったにもかかわらず、開演1時間前から大勢のお客さま。本番は温かい雰囲気で進む。様々な障害を持ったお客さんだったが、都響さんとの演奏が始まるとさーっと静かに集中。自然と声が出る人もいる。何かを感じて応えてくれているようだ。耳の不自由な人のためのブースもあるのだが、音楽は皆のためにあってこのコンサートの意義は大きい。花のワルツに続いて野原みどりさんの見事なチャイコフスキー、小さな身体から時にクリアな繊細な歌が、時に深いたっぷりとした音色が湧き出てくる。素晴らしい。短いトークを司会の加藤さんとした後、ハチャトゥリアンのガイーヌから4曲。そしてアンコールは浅田真央選手の取り上げた仮面舞踏会から「ワルツ」を。温かい拍手を頂く。指揮を終えて振り向いたときに初めて意識が飛びかけてふらっとした。立つときの体のバランスが完全に失われている。帰りは駅で軽食。聴きに来た母親と電車で帰宅。音楽は直接人のこころに届けられる。楽しんでもらえたとしたら何よりだ。(12日3:45)

春の陽気

朝から良く晴れている。車で都響さんの練習所、東京文化会館へ。今日は明日のふれあいコンサートのリハーサル。前半オーケストラでの曲目を、後半ピアノの野原みどりさんとのあわせを。リハを終えて外へ出るとすっかり春の陽気、車の中が暑いくらいだ。リハを終えてそのまま水分も欠乏したまま移動を始めたら脱水症状が出始めた。危ない危ない。手足のしびれに頭痛は定番だ。池袋へ出て、来週の新幹線の指定を取り、東武で美味しそうなケーキをゲット。街の雰囲気が春そのものになって来た。イタリアンレストランのテラスで食事をする姿も。花粉まみれやんとか思いつつ、ベルリンなら真冬でも太陽さえあれば外でお茶をしようと試みる連中を思えばオーケーだ。今はハンノキやヘーゼルの花粉が飛んでいるというが、果たして20年前ってこんなに花粉のことを騒いでいただろうか、思わず考える。去年の今頃はロンドンからベルリンに下見に行ったり来たりしていたが、ロンドンの町は雪が残っていたかな。春はいい季節だ。雑司が谷で日本のワインを一本求め、家に帰って昼寝をする。明日に備えて就寝。(12日3:30)

ハチャトゥリアン

小学校の頃音楽の先生が産休で休まれていた代わりに、寺原信夫先生という方がその間教えに来てくださっていた。男性で地味な風貌な感じだったのだが、鮮烈な印象が残っている。ピアノを弾き、自身の曲を皆で歌い、生きた音楽の授業を受けた。そんな氏は日本人で唯一の作曲家アラム・ハチャトゥリアンのお弟子だった。ある日休まれて海外へ行ったという。丁度その前述の師が亡くなった時だった。指揮を志してから1・2度お目にかかったが、いろいろ教わりたいことがどんどん出てきていた矢先98年に他界された。今、週末の演奏会で取り上げるハチャトゥリアン家で譜読みを続けながらふと亡き先生のことを想った。池袋に出て少しピアノにさわる。(11日22:45)

桃の節句

3月3日は雛祭り。そうかぁ今さらながら先週のにほんのうた演奏会で取り上げれば良かったなぁ。企画は去年の春にはもうあったのだけれど、秋に詰めていたこともあって、季節感はイメージしきれてなかったかな。秋のアンケートリサーチでは秋の歌が目白押しだったのは自然な結果だったのを思い出す。先週だったか、近所で小松菜を買って来て立派な根っこの部分を残して料理。その根っこを植えておいたら新しい菜っ葉が生える生える。これは家計にやさしい、身体にやさしい。桃は花も綺麗だが食べる桃が良い。一日今日は家に居た。ポトスの葉が元気に伸びてきた、生命力が凄い。(11日22:15)

親子でききたい~にほんのうた ご来場御礼

先日長岡リリックホールで行われました~親子でききたい~にほんのうた には、大勢の皆様にお越しいただきまして誠にありがとうございました。以来ご感想や反響を頂いております。

本当はあの曲が聴きたかったてぇとか あれがはいっとらんやん、みたいなものもきっとあったことと思います。

今では音楽の教科書の中身も様変わりをしてきています。

ちなみに私が子供の頃教わった歌は、もう既に数える程しかないわけなんですが、

それは、時代を反映するものであるとすれば止むを得ないのかもしれません。

でも時は流れても、私たち日本人の感性とか、心の琴線に触れる歌を、これからも大切にしたいと思うのです。

リリックホールから、これからも 沢山ある日本の歌で楽しい時間を過ごせるコンサートを、皆さんとご一緒に考えていきたいと思います。是非、お声を聞かせてください。

3月3日 船橋洋介

椿の花

指揮でもピアノでもなくパソコンかなぁ。肩が少し辛いので長岡の駅前に立ち寄りマッサージ。このまま温泉でも浸かりたい気持ちを抑えて新幹線に乗り込む。メロンパンを頬張りながら東京に戻る。え~?寒い。長岡の方が今朝は暖かかった。冬はそんなことが良くある気がする。さて早速土曜日の反響を頂く。ピアノが上手だったという評価も噂もない。あはは。結構楽しんでいただけたようだ。何か更に膨らませていけたらなぁと思うのだが、どんな企画が良いかなぁ。家に着いて目を弾いたのは、淡いピンク色の椿の花。この間、ホームセンターで求めた小さな苗木だが、沢山つぼみがあって、早速可愛い花を付けた。何とこれは長岡だったか新潟の市場から届いたものだったなぁ。奇遇だ。亡き義姉の命日に想う。家の前は春の花がいろいろ賑やかに咲き始めている。東京は一足早く春になった。(11日21:25)

弥生突入

指揮の本番とは違った神経を使ったようだ。徹夜みたいな原稿書きに追われていたところから開放されてちょっとゆっくり睡眠を摂る。寝貯めができたらどんなに良いだろうか、とふと思う。解説やら喋ることを専門家に依頼することは良くあるが、ここまで自分やりなおさなければ気が済まなかったのは初めてだなぁ。夜、市民合唱団の練習日。早速お越しいただいた皆さんにごあいさつ。練習はいつもと同様に発声から練習。昨日は青木さんの公開発声練習で盛り上がったが、真似出来ずに取り入れるのを断念。自分がやって見せられないことはやらない。声楽家じゃないし。いつもの喉をちょっと使う練習から始める。日本の歌を2曲、続けてオルフの前半を練習。日本語を美しく聞かせること、難しい。ラテン語を早口で捌くこと、難しい。でも何れも人間の営みに深く関わっている、精神性の部分と、本能的なものとある種両極のようだが、それを並べてみせるプログラミング、実は面白い。二月後には本番かぁ。(11日21:15)

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