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July 2009

久方ぶりの名古屋

5年ぶりくらいになるだろうか、久々の名古屋。朝の東海道新幹線。片道1時間40分くらいだから長岡に行くのと違いない。午後から名古屋フィルの皆さんとリハーサル。普段2時間以上移動のあるようなところでは万が一を考えて前日から前乗りすることにしているが今回は1泊2日だ。さてタクシーに乗って向かうも練習場も何だかよく覚えていなくて建物に入ってスタッフやオケのメンバーに会い徐々に記憶が甦る。相当余裕が無かったのだろうか。
楽屋に入って、一番目に飛び込んで来た表情は初代音楽監督の岩城宏之先生。お付き合いさせていただいた頃よりも厳しい険しい表情。船橋君ちゃんとやっているか?と問われているようで思わず色々な思いが込み上げて来た。
コンサートマスターは初めてご一緒する日比さん。素晴らしい。懐かしい東京音大の後輩もちらほら。今回は愛知県の県職員の方達とその家族に向けたコンサート、メンデルスゾーンの真夏の夜の夢から抜粋と、ヴァイオリンコンチェルト、それにヘンデルの水上の音楽と王宮の花火といずれも今年記念すべき作曲家の愛すべき作品たち。
いやぁ、細かい曲が多くて予想以上にやりたいことがある。オーケストラの皆さんはとても誠実な音楽で応えて下さる。結構みっちり時間を頂き、明日に備える。持ってきた着替えは全てびしょ濡れ。
ホテルに戻り、栄の付近で練習着などの買いものをして夕食。みそかつか、味噌煮込みうどんか、ひつまぶしか、えびふりゃ~ぁか考えていたが、朝以来食べ損ねていてスタミナつけにゃぁと思い、またまた一人焼肉。
東急ホテルは快適だった。その土地のものを頂くのは基本だが、時間が無さ過ぎる。これではベルリンに行く前と生活が変わらないじゃないかと思いつつも、日本の生活を実感。少し早めに休む。良い本番になりますように。
(6日17:10ここは何処?)

ゴーヤ

今日は家でゆっくりしようと思っていたのだが、夕方、前から気になっていた靴を求めに目白に出る。
ベルリンのアパートの2軒となりが健康グッズショップで、そこで見つけたスイス製の健康スニーカーが気になって欲しくなったのだ。徐々に使いこなして良い感じになるといいなぁ。今まで履いている超軽量のスニーカーとは正反対の代物だ。楽しみ。
さて鹿児島で求めたさつま揚げが届いた。早速温めていただく。うまいんだなぁこれが。
家の親父の部屋の軒先に蔓の植物が元気よく伸びている。それがなんと「ゴ~ヤ」。
胡瓜の化けたようないぼいぼの奴が生っている。そしてタイムリーなことに、お昼前にあのお馴染みの料理番組で卵とゴーヤの炒め物の作り方を教えてくれているではないか。
まだ、それほど大きくなっていなかったが食べられどき。美味しく出来たぁ。苦味がたまらない。
長岡から立派な夏野菜が届く。日本の野菜も下手をすると海外のもので賄うこともあるが、
こうして自給自足したり美味しい採れたてを頂くと幸せなものだ。(6日16:45どこかの高原上空35,000フィート)

お医者三昧の夏

お医者週間はまだまだ続く。朝は歯医者、噛み合わせを直してもらえるような所ではなかったな。少々具合の悪いところを治してもらう。
家に帰り何故か無性に家の風呂場を磨きたくなって、ごしごしやる。
小中学生の頃は教室の床を雑巾で磨いたものだが、あれは全身運動になっていま考えてみると良いものだ。今は掃除って同じようにやっているのかな?
いやぁタイルの目地が綺麗になって気持ちよい。
午後からは愛車カムリ君に乗って九段坂へ。前回の血液検査の結果を聞きほっとする。年に数回頚やら腰が痛くなるが大したことはないらしい。痛いからお医者に行くのだが、成る程仰る先生は亡くなった岩城宏之先生と20年来のお付き合い。相当難しい手術をなさった話を聞くとまだまだ使えるというわけか、小生の身体は。大事にしなければ。
池袋の別宅に出向く。辺りは新しい飲食店が立ち、おまけに信号まで出来た。進化する街。
一之江に帰ると、何と懐かしい1年ぶりにかえる君が出迎えてくれる。環境が激変する中、逞しく家の周りに住み着いている。嬉しいなぁ。(6日16:30ウランバートル数百キロ北部上空)

バリウムの夏

本厄の今年は年間の3分の2を海外で過ごすことになるが、尚のこと自身の健康を考えなければと思いだす。
昨夜の夕食終了時間の言いつけを守り、船堀にあるタワーホールへ出向く。区民の健康診断を一手に行うだけあって受付を済ませてから、大変スムーズに様々な測定や検査が行われる。久々のバリウム、何気に美味しく有り難く頂く。
あっちゃ向きこっちゃ向きと姿勢を指示され、腹這いになって逆立ちするように半ば中吊り状態で自身の体重を支えることがこんなにしんどかったんかと何気に新たな発見をしたり、せっかくなので楽しんでみる。血液の検査も時間をかけずに結果が得られる、そんな技術が進歩するのならば、健康的な身体を維持する素敵なものが生まれないものかとふと無茶を思いつく。
細かい結果はベルリンに戻ってからになるが、先ずはクリアしたのかな?
小岩にある整体へ行き診てもらう。身体のバランスや気になる点を鋭く指摘される。
久々にヤマハへ楽譜を物色しに行く。秋葉原に出向いてCDを求める。池袋西武のいつも求めている韓国食材でカクテキとキムチをゲット。
何でも食べるし好き嫌いのないのは健康に良いことかな。(6日1:40東京)

鹿児島の夏

一夜あけてチェックアウトの時間。お迎えが来るぎりぎり前まで温泉。乳白色の硫黄泉。
本番を終えた後は寝付けないことも多かったが、昨夜は適度な疲労とアルコール、そして温泉効果だろうか、日本に帰って始めてぐっすり休めた感がある。
と言うわけで9日間の鹿児島ともお別れ。良い時を過ごすことが出来た。美味しいお店にもう少し出かけたり,白くま食べたり、違う温泉に浸かりに行くのはまたいつの日か、楽しみにしていよう。
鹿児島空港は3年ぶりかな?足湯があって、屋久島帰りにひとっ風呂浸かった記憶が甦る。
道中、ホールに立ち寄りスタッフに挨拶。気持良く音楽の出来る環境を作って下さった。
JALは復路も遅延。まぁ、ヨーロッパで慣れっこだ。羽田からリムジンバスを待って地元へ。
駅から自宅までごろごろ荷物を転がし10分。辺りの開発に色々な気持ち。
鹿児島市内は蒸し暑かったし、夏を感じたが、東京に戻って何だかはっきりしない暑さ。
少し休んで、夕方から晩ご飯を始める。8時までに食べ終わらなければならない日。
ベルリンから電話で予約を取っておいたのだ、江戸川区の健康診断、というかメタボ診断。
鹿児島kら送ったお土産いつ届くかな。(31日22:10名古屋)

いよいよ霧島へ

鹿児島一週間滞在中、山形屋さんで買い物をしたり、お土産を送ったりしてもらった福引券があったので、朝一に運試し。夜のおつまみゲット、まぁそんなもんだ。
チェックアウトをして一路霧島へ。途中霧島神宮での演奏会に出演するテノールの水口聡さんと、同門ソプラノの鈴木慶江さんと合流。いよいよ霧島国際音楽祭が始まる。
温泉のホテルにチェックイン。至るところに温泉の煙が立ち昇る。
近所で昼食を摂り会場へ。時折強い雨が降る。
みやまコンセールまでの道のりは音楽祭ののぼりが林道に広がり良い雰囲気。
次々と今回ご一緒する名手達の会場入り。夕方から4時間のリハーサル。
会場の響きが心地よい。今回のガラコンサート、音楽祭の開幕にふさわしい盛りだくさんのプログラム。日本の音楽界の第一線で活躍する弦とピアノのアーティスト達はみんな気さくな人たちばかり、この音楽祭の常連とあって楽しみにしていらしたのだろう。良い雰囲気でリハが進んだ。転換の多いコンサートなので色々と気になる点をチェックして終了。
楽屋に戻って、何故か夕食のお弁当を注文してホテルへ。そして今回もひとつ楽しみにしていた温泉へ。
ロンドンでもベルリンでも夢にまで見た日本の温泉。夢の中では外人ばっかりだったかな、まあそれはいい。もわ~んと硫黄のかほりのする温泉、気持ちよかったなぁ。全身血行がよくなっていくのがわかる。思わずベルリンのシャワー、風呂桶入れちゃおうかなぁ何て考えてみたり。帰国後直ぐのお仕事の環境としてはこの上ないものでございます。ありがとう!ジェスクさん。
各地に降る大雨が心配ながら、きっと良いステージになると祈りつつ浴衣に着替えて缶ビールとお弁当でひとり前夜祭。(29日0:30東京)

締めのラーメン

鹿児島市内滞在最終日の今日は、土産に「かるかん」と「さつま揚げ」を送る。夕方市内のザビエル教会でチェロ長谷川陽子さん、ソプラノの鈴木慶江さんのリサイタル・リハの様子を見に顔を出す。昨日に引き続き鹿児島交響楽団の弦楽パートとのリハーサル。チェンバロも加わり、作品の全貌が見える。オーケストラはやはり弦楽器のアンサンブルが要だ。どのようなレパートリーを持ちサウンドを練るかはオーケストラのレヴェルに大きく影響を与える。特に古典の作品はオーケストラという一つの完成を見た表現媒体の基礎となるもので欠かせないものだ。テクニックはもとより和声感や調性感はソロではなくアンサンブルが基本の弦楽パートにとって弦パートのみで聴き合うリハーサルは非常に有益だ。
皆さんの協力でどんどん響きが集まっていく。
練習を終えて遅くなったしホテルで先ず夕食をしっかり頂く。店を出てふと昨晩市内の旨いラーメン屋の話題になったのを思い出す。既にお腹いっぱい食べた。実は夕方教会に行く前に昼食がてらその店に立ち寄ったものの昼休み。今日で鹿児島滞在も終り。葛藤の末、腹ごなしに徒歩でお店に行ってみる決意。ん?遠いぞ。およそ30分歩いて無事到着、即注文「なんこつラーメン」満腹の筈がしっかり食べちゃった。
帰りが大変、積載量オーバーに付き歩く速度が上がらない。そのままホテルに直行すれば良いものを最後とか言いながら「白くま」3日連続。本番前の異様なハイテンション。
ホテル悪くなかったし市電の走るこの街も好きだな。重い身体に鞭打つように真夜中の荷造り。そう言えばうまいラーメン屋の票が割れてたな。次があったら。
いよいよ明日から霧島へ。(27日17:15東京)

白くま

鹿児島入りして6日目。このブログで小生が鹿児島に出現した噂から、かつて指揮法の授業を持っていた大分県立芸術文化短大のOB達からメールが届く。懐かしいなぁ、嬉しいなぁ。今日から再び鹿児島交響楽団の皆さんとリハーサル。この日から信頼する都響コンマスの山本友重さんと都響首席チェロの田中雅弘さんがトレーナー、ゲストプレーヤーとして合流。管楽器の入るモーツァルトのコンチェルトと合唱との共演「ハレルヤ」のを練習。音楽的な意図が着実に伝播していき鹿響さんの前向きな姿勢が音になっていく。前述の2名と山本祐ノ介さん、小山京子さん、母校の大先輩など地元音楽関係の方達と会食。傑作な昔話などを聞く。美味しいお店だったなぁ。市内どの辺りだったのか、次一人じゃ行けないなぁ。
ホテルに戻るとベルリンには無いコンビニに何故か立ち寄りたくなる。思わずまた「白くま」今日は小さい方。自制。(27日16:40東京)

皆既日食

鹿児島の天気はどんより曇りがち。そんな中、大騒ぎの皆既日食は見損ねた。どうやら鹿児島市内は雲の合間からしっかり見て取れたようで一日中テレビは繰り返し報道している。ホテルから散歩がてら街に繰り出してみると道行く人や、オフィスから人が出て空を眺めている。駅前や報道に適したところでは見えることが分ったのだろうが、はっきりしない天気の中、小生の周りにはだれも真剣に観察する向きも無い。残念。でもその時刻辺りはほぼ夜の如く暗闇に包まれ、体感気温も下がりどこと無く不気味な時間が流れた。次回世紀の天体ショーは26年後2035年9月2日とのこと、見ること出来るかなぁ。
相撲を久々にテレビで観戦。夜は一人焼肉。鹿児島の名物かき氷の「白くま」、元祖のお店を横目にコンビニで大き目のを勇気を出してゲット。これは全国区だが食べたことが無かった。ホテルでシャリシャリ頂く。にんまり。(27日16:25東京)

若杉弘氏

この日初めに飛び込んで来たニュースは指揮者の若杉弘氏の訃報。
若杉さんと言えば日本におけるドイツオペラの草分け的な存在だった訳だが、何かと公演には顔を出していた記憶がある。若かれし頃ご挨拶を申し上げたことがあった程度で薫陶を受くことは出来なかった。ところが奇しくもベルリンで先頃、若杉さんのドイツにおける初期のレコーディングでマーラー交響曲第1番の録音技師をしていらしたH.ヴェークナー氏と知り合い「ワカスギは元気か?」という会話になった。療養をしておられる話は聞いていたので帰国したら連絡を取ってみると伝えていたところだった。きっとその当時思い出のあるお仕事だったに違いないし、直接それを伝えることが出来たらと願っていた矢先の報。残念だ。合掌。
鹿児島の食を試すもこの暑さで胃腸が弱り気味だ。ホテルから歩いて10分ほどの所にある港のレストラン街で奄美料理なるものを試す。よく判らないがどうせならその土地でいただく方が良さそうだ。
山口での大雨が心配だ。おかしいぞ日本の気候。
(27日16:05東京)

霧島の緑

朝少し早起きをしてスタッフと共に今回の演奏会場となる霧島市の「みやまコンサール」に出かける。今日は海の日、祝日の月曜日。 
鹿児島市内から丁度1時間。道中の自然あふれる森や大地が心地よい。山の上にある環境抜群の立地、いやぁとてもよいホールだ。ロビーや楽屋にも十分な空間を取り、ホールの音響、座席と申し分ない。ホールの脇には野外音楽堂があって、魅力的だ。思わずベルリンのヴァルトビューネを思い出す。
この日は霧島国際音楽祭30回記念霧島市民音楽祭ということで、市民団体を中心に吹奏楽や弦楽カルテットなど多彩なプログラムが組まれている。全てのプログラムのリハーサルを聴かせていただいた。この鹿児島は日本の吹奏楽の歴史の発祥でもあるという。小学生と中学生の演奏があったがレベルが高い。リコーダーアンサンブルや三味線も楽しめた。チェロの山本祐ノ介さんと地元の弦プレーヤーによるアンサンブルは秀悦。本番の客席は超満員。
夕方からは霧島市内を案内してもらい霧島神宮に参拝。ここでも演奏会があるようだ。森の中を走り下山。曇ってはいたが桜島も良く見える。
これで温泉に入れたら最高だな。
夜はおでんやさん。夏のおでんと焼酎も悪くない。(24日11:45鹿児島)

西郷さん

朝ごはんの時間を逃すほど久々に寝坊をした。日本に帰ってから休みらしい休みもなかったし少し身体を整える必要がありそうだ。今日のオケリハーサルは夜から。昼は少し界隈を散歩したり、自由な時間を過ごす。遅い朝ごはんを頂く。旨いとんかつ定食、どうなの~?重重。練習会場のそばに立つ西郷隆盛像にしばし見入る。誰かに似てるなぁ。
2回目のオケリハーサル。今回は6曲共に共演者のソリストとのステージ、古典ものばかりだ。とてもレスポンスの良いオーケストラ、メンバーの前向きな演奏が嬉しい。もっと本番までに交流が出来るといいなぁ。
晩御飯の店を探していたら都響チェロ首席の田中さんとばったり。音楽祭に多くのアーティストが続々鹿児島入りしている。
今宵はひとり中華。餃子が美味。(24日10:45鹿児島)

鹿児島の夏

リムジンバスで羽田へ。今日のフライトはJAL鹿児島行き。来週末、今年で30回を迎える霧島国際音楽祭のオープニングガラコンサートの指揮を仰せつかり今日からリハーサルが始まる。
鹿児島空港、う~ん何処と無く太陽が近い感じ。鹿児島といえば数年前の屋久島旅行以来だ。市内に入るのは今回が初めて。この音楽祭では県内各所で様々な催しが開かれるが行きの車では元サンクトペテルスブルク響首席トランペットのアレクセイ・トカレフ氏と一緒になる。
さて今回ご一緒するソリストは日本を代表する弦とピアノの名手たち。そして共演は鹿児島交響楽団の皆さん。楽しみなコンサート。早速午後まずオーケストラのリハーサル。コンチェルトを中心に楽章の抜粋が多いが6曲ある。いいオーケストラだ。その後シャワーを浴びに30分ホテルに戻り演奏会の冒頭で共演する合唱団コールみやまの皆さんと1時間。それぞれ活動をしておられるメンバーが今回のために集った。色々なことが出来そうな合唱団だ。戻りホテルでひとり晩御飯。きびなごの刺身や特産豚の角煮などいろいろ頂く。鹿児島を堪能しよう。うんやはり食の美味しい地には良い音楽があるな。(22日19:00鹿児島)

アドヴァイザーのお仕事

雨の長岡。ホテルの朝食を頂き10時から財団の音楽アドヴァイザーとしてのお仕事。今年度赴任された役員職員のご紹介を頂く。職員の顔ぶれを見て考えてみると、毎年相当数の事業を少ないメンバーで良く切り盛りをしてこなしておられる。
早速、今年度上半期の事業展開の説明や年度内の事業と、小生のプロジェクト事業の詳細について詰めを行う。
今年度は10月下旬と2月の下旬に自ら出演する事業、それに12月には震災復興事業もある。より多くの市民が財団の事業を楽しんで参加したり、ホールに足を運ぶことが出来るように働きかけたいものだ。
日本の10年後20年後の聴衆を育て、層を広げ深める努力は当然我々が自らしていかなければならないのだ。
ベルリンの町を見てみると演奏会に訪れる聴衆の年齢層は一見高いのだが確実に若い人たちも根付いていて、音楽文化を現代の生活に密着したものとして享受している点は正直羨ましいものがある。いや、これまで力を注いで来たように、青少年にもまた初めて足を運ぼうとされる聴衆に対しても「どうですか?」って心からお誘いできるものを提供する、それが使命だ。
舞台に立つ立場だからこそできる発想をもって、この与えて下さったお仕事をますます活かしていけたらと願う。
午後昼食を駅で摂り、大宮から池袋へ。目白の先の耳鼻咽喉科へ例のMRIの写真を持って診察を受ける。やっぱり鼻をいじられると耐え難い。くしゃみを堪える訓練?薬を頂いて帰る。西武に立ち寄る。家で旅本番の仕度。一週間があっという間だ。南国の地は暑いのかなぁと思いを馳せる。
(22日1:50a.m.鹿児島)

久々の長岡

暑さの堪える一日。月曜日にリハーサルを済ませたもう一つの公演。
今日は再び東京都交響楽団の演奏会本番、中野駅から歩いて10分中野ZEROホール。中野区の小学校2公演だ。指揮者体験コーナーがあった。ハンガリー舞曲第5番を小学5年生が振る。とっても音楽的な良い指揮をする子供さんがいた。将来が楽しみだ。
トランペット吹きの休日や管弦楽のためのラプソディーと都響のメンバーのソロも楽しめるプロ。この日は前日と違って運命が最後のプログラム。選曲も良いのだが子供達を最後まで引き付ける流れを作るのは難しい。中野の小学生はとてもよく聴いてくれていた。
公演を終えその足で東京駅へ。久々に長岡へ飛ぶ。リリックホールに年末の震災復興公演でボーイソプラノ・ソロを務めるソリストを決めるオーディションに立ち会う。調性感と日本語の捌きの難しいメロディーをよく歌っている。
財団と同席願った山本先生と今後の打ち合わせ。毎週合唱練習に150名近いメンバーが休まず集っているとのこと、頼もしいことだ。
夜は合唱団の長尾さんと監物さんたちと会食。G4会談?を兼ねて今後のお話も。久々にお酒を沢山頂く。長岡の定宿ホテルも半年振り。駅もすっかり綺麗になった。
この日は2年前の新潟中越沖地震から2年。この13日には忘れもしない新潟豪雨災害から5年が経った。これからの平穏な毎日を願うばかりだ。
東京は梅雨明けしたがこの新潟いつも先延ばしになる。花火の頃にはしっかり梅雨明けしているだろうか。
先週成田に着いたときに感じたのは、日本は温暖湿潤気候と習ったものだが、亜熱帯とか熱帯に傾いているのではと。その気候の分類は気温の高さを基準にしているものだけれどどうも温暖化でジメジメ感、湿潤感も高まっているような気がする。
ベルリンの今はどんな様子だろうか。留守にしてきた寝室、カビとか生えてないといいのだけれど。(21日18:40鹿児島)

オフ日

今月ほぼ唯一のオフ日。
朝一で予約を入れなおした歯医者へ。歯医者選びは難しい。80歳で20本自分の歯を残すようにといわれるが、どれだけ元気な歯でいられるか大事なことだ。虫歯もさることながら噛み合わせと睡眠時の噛み締めを治したい。どうも指揮をしているときに相当の力で奥歯を食いしばっているらしい。何とか改善させたい。どこか良いお医者はないだろうか。
その後MRIの画像を借りるために脳神経外科へ。今は大きなレントゲン写真ではなくてデジタルフィルムをCDに焼き落としてくれる。ありがたい。耳鼻科と頚椎のお医者さんに見てもらうことになっている。
二十歳の頃から公私共にお世話になった合唱指揮者の大濱當忠先生宅へ。先生が暮れに亡くなられて初盆ということでお線香を上げに伺う。東京滝野川少年少女合唱団という老舗の児童合唱団を築きあげそこで10年以上指導者のお仲間に入れていただき、自身の音楽の礎を与えていただいた。残念ながら今では全くその遺志とはかけ離れた活動がなされているが、当時の教えを受けた団員の心には大切なものが心に刻まれていると信じている。
その後渋谷にあるジャパンアーツに赴き社長としばし会談。
池袋で買い物。東京にいる間は暫くお医者さん通いだな。今のところ大きな問題は無くほっとしている。
オフ日のつもりがあんまりオフになっていないかなぁ。
夜はえだまめにビール。う~ん日本の夏には欠かせない。ベルリンで枝豆栽培しちゃおうかなぁ。(21日16:50鹿児島)

ほっ。Ⅱ

帰国後の初仕事は東京都交響楽団の音楽鑑賞教室。いつもだったら車に衣装を積んで会場入りするところだが、朝の交通情報を見て断念。
都営新宿線の駅までとことこ衣装ケースを担いで向かう。新宿で中央線快速に乗り換え三鷹へ。そこからバスで15分。片道1時間半で会場入り。
初日の今日は三鷹市公会堂で三鷹市中学校2年生のための午前午後2公演。都響さんのプログラムで恒例の会場を団員さんが練り歩きながらラデツキーマーチを演奏しながらステージに集まるスタイルは今日は無くて、初っ端からベートーヴェンの運命。なかなか緊張感を伴う。いよいよ第1声。ジャジャジャジャ~ン。後は音楽をしオケと対話するのみ。
嬉しい時間だった。主催の音楽の先生方のこのコンサートを良いものにしたいという気持ちが伝わってくる。スターウォーズに花のワルツ、そしてモルダウと盛り沢山。オーケストラはいつも同様いい音色で応えて下さる。きっと中学生にとって良い時間になったと信じている。
帰宅して歯医者の予約を断り整体へ。一時間みっちり診てもらう。暫く指揮をしていなかったためのちと恥ずかしい筋肉痛は放っておいて、腰と首、股関節を中心に。ベルリンの近所の中国人マッサージ、シャオさんは上手だがドイツ語も英語も出来ない。ここでは細かいことを伝えられてほっとした。
無事初日終了。ほっ。家でゆっくりと晩御飯を頂く。(21日14:30鹿児島)

ほっ。

帰国してから曜日の感覚が完全に麻痺している。1日の生活のサイクルそのものが大きく変化。去年までは大学のお仕事や何かで1週間のサイクルが不規則ながらも見えていたものだが、ドイツの緩やかな時間の流れと休日らしい週末の生活からは、余りの落差に不安を覚える。

というのも日本での指揮活動を10ヶ月していなかったことがこんな不安にさせるとは考えていなかった。
果たして、棒を振り下ろしたら音が出るだろうか。
帰国後最初のお仕事は東京都交響楽団。上野公園に車を止めてからアクシデントはあったが、リハーサル1時間前に指揮者控え室へ。フルネ、ベルティーニ、インバルにデプリースト、都響さんの歴史的な名演を導く名指揮者が使った同じ指揮者室。今日のコンマスは山本さん。2日間4回公演のリハーサル。1年ぶりの面々。
ちょっと懐かしい緊張感。山本さんに握手「おはようございます」皆さんに「おはようございます」といつものご挨拶をして、いよいよ第一声。振りかぶった。

でた~。60名の名手達が一同にB-durのファンファーレとハーモニーを奏でる。
今改めて考えてみる、あぁ、こんな素敵なお仕事をさせてもらっているんだ、と。
数曲の後に異変が。腕の筋肉に何ともいえないこわばり。
駆け出しの頃に戻ったような感覚。未だに駆け出しには変わりないが、
この数ヶ月で見事に指揮に必要な筋肉が落ちていたのだ。その普段の生活では意識をしないような筋肉。学生の頃をふと思い出す。でも無事音が出て良かった。ほっ。相変わらずオケの反応は素晴らしい。2日間で取り上げる12曲のリハーサルを終えて、事務局スタッフと昼食。
午後からは池袋に出て、靴屋、眼鏡屋をウィンドウショッピング。更に渡欧前にお世話になった耳鼻科へ。鼻の奥にいろんな液体をかけられる。思わず先生めがけてくしゃみ。
お医者通い週間はまだまだ続く。(20日鹿児島23:15p.m.) 

日本の政治

日本に帰って初めての日曜日。鐘の音が聞こえないのはちょっとつまらない。隣にあったアパートが取り壊され寝室の窓を開けると母校のグラウンドが見えるようになった。朝から運動系の部活の声が元気良く聞こえる。習慣として触れている音。近くにお寺は多いのだが鐘の音って最近めっきり聞かなくなった気がするのは気のせいだろうか。
車で池袋へ。途中祖父のお墓のある小石川のお寺脇を通る。別宅のピアノをポロポロ弾いてみる。暑い一日だ。この蒸し暑さ、日本は熱帯地域かと思わせるものがある。
車で出かける前、歩いて5分の母校の小学校へ投票に出向く。今回は投票のために帰国したと言いたいくらいの関心事だが、正直なところ我が地域の候補者のアピールを読んでもときめかない。閉塞感とか古めかしいしがらみが漂う。それでも一票、思いを託す。任期中の仕事ぶりとか、議員が何を考えているのかもっと見つめていく必要があるなぁ。
ドイツも失業率や、街の様子を見ても世界的な不況は肌で感じるものがある。でもしっかり土日は休んでるんだよな。消費税19%は非常に厳しいものがあるし、当然外国人が仕事をしていくとなればハードルは高いものだ。ベルリンも様々な文化圏の人々を包含している中で当然外国人の働く場はドイツ人と同等或いはそれを上回る能力が求められるわけで、身近に逞しく対等に活躍している仲間を見て、音楽をしていくことが如何に大変なことか改めて実感をする。
国の借金は膨らみ続け、目先の問題に追われて次の世代のためには頭が回らないような状況は避けたい。東国原知事も、蓄えて蓄えてその先をと願う。

それにしてもビールが高い!

美味しい新潟の生酒が届く。きんきんに冷やして頂く。う~んたまんない。

日本の家族

ベルリンでは土曜日のいつも朝はちょっとゆっくり起きて家のことをして、のんびり休日のように過ごす。でもかつて日本で先生をしていたころは高校大学の授業から始まるハードな週の締めくくりだった。それもそれで充実していたなと思い起こす。
時差の悪戯による生活のリズムは最悪を極める。そんな中、奇跡的に船橋家の一家5名が揃った。何時以来ぶりだろうか。前日から泊まっている兄に加え、姉の登場。ジャズダンスやストレッチ、バレエなど自分の得意な分野を色んな教室で教えているアクティブな女性だ。最近では益々生徒さんの数も増えているようだ。持ち寄った食材や小生の土産などを揃えて遅めのランチ、というよりらんちかな。シャンパンを開け乾杯。といのも皆それぞれの生活があって何よりこの小生の気ままな生活で一家が揃う日を設定するのは困難極まりない。そもそもこの5月に両親の金婚式だったということで区から何かが届いたり、義兄からお茶碗をもらったりと正月でもないのに珍しい家族団らんのひと時。杉並にあった祖父の家に正月に親戚一同集まって、わいわいやった幼少の頃を思い出す。やっぱり家族があるのはいいものだ。一緒に写真を撮っておけばよかったなぁ。

中身が別に何んにも無いのに、タイトルがいつも立派だ!といつも思う。(東京14日0:05a.m.)

日本の食生活

少しゆっくり起きて今日は区内の病院へ。そういえば数年前からマネジャーY女史と脳ドックに連れドックしよう!と計画をしていたがとうとう叶わず、抜け駆けして診察を受けに行った。諸々の症状からリハビリテーション室で立つ時の重心バランスの検査を受け、いよいよ脳と頸部のMRI。おぅ感動!自分の脳みそ。先ず何よりあって良かった、みそ。100人に一人しかない部分があるという説明に、それは天才って証拠かと野暮な質問は取り下げたが大変よく診てもらうことが出来た。、首の骨が気になるが普段の頭痛は主に肩こりから来るものと分かりひとまず安心。あとはどうやって各部位の痛みを取っていくかが課題だ。気長にドイツチックに?構えようか。ホームセンターとか、デパートとか結構好きらしい。思わずかつての行きつけのホームセンターへ行き、ベルリンで使えそうなものも含め、ウィンドウショッピングをする。酒類量販店でビールと水をゲット。知らぬ間に色んな新しい種類のビールが出ていた。でも主流は第3のビールなんだなぁ。夜はサントリーホールに演奏会へ出掛けてみる。かつての上司、広上淳一氏率いる日本フィルさんと母校東京音大の合唱。どこから結びついたか分からないプログラミングながらいい曲ばかりだった。学生の時から母校の合唱指揮者時代まで大変お世話になった尊敬する篠崎義昭先生にお目にかかることが出来た。家に帰って久々に兄貴と会う。兄もまた朝霞にある家近くの家庭菜園で野菜を作って持ってきた。ちょっと羨ましいなぁ。そこで採れたナスやトマト。てんぷらを作っていただく。旨い。どうだ、ドイツ!でもビールだけはドイツは旨いんだなぁこれが。そろそろ次はプリン体の心配をしてみよう。豊富な魚、それと肉との消費のバランス、野菜の質もドイツよりは良いのだろうと思う。それとも単に日本人の求める味覚が優れているということだろうか。味付けの繊細さ、バラエティーの豊かさは誇れるものだ。ベルリンのスーパーのチラシはどのページを開いてもデ○まっしぐら。久々に家族4人が揃った。(東京12日1:15a.m.)

日本の車社会

やってしまった。寝過ぎ。昼に眼が覚める。この湿気と暑さで自ら時差ボケを招いてしまった。久々に愛車カムリ君に乗ってみる。動いた、感動。そろそろ地球のためには身を引いてもらうべきところだが、暫く付き合ってもらおう。池袋の東武デパートへ。ドイツっぽいお菓子を購入。秋からずっと履いている靴の中敷を求める。昨年長岡の駅前で余り期待せずに買ったそれが今や手放せない。日に平均3~4キロ歩いていたが買い換える必要も無いほど軽く丈夫だ。眼鏡屋に立ち寄りそのまま渋谷へ。ジャパンアーツの入るビルへ次週末からの旅公演打ち合わせに伺う。我がマネージャーS女史も元気そう。ヨーロッパでの報告や公演の内容にリハーサルについて等々順調に打ち合わせが進む。車で行き近くのパーキングに入れたら料金2000円、え~!ベルリンはただ同然なのに。ユーロの変動で生活費は若干日本より高く感じるものもあるが、日本は余計なところにお金が掛かり過ぎる気がする。ビールの税金とかっ。車で都内を走りながら帰宅。やはり日本の食文化は素晴らしい。きっと水の影響が大きいのだろう。庭で採れたインゲンはケニア産のそれより断然旨い。洗濯物は肌に気持ちよいのも実感するし着替えもソフトだ。ベルリンでは何を使って洗ってもガビガビ。まぁ、それでもベルリンは芸術家ビザを取っちゃう程、愛する街ですが。カムリを走らせて改めて気が付くのはタクシーの数の多さ、道の狭さにそぐわない交通量。高速料金ただにできたらいいのに。とは言え物流と人の移動は当然ベルリンとは比較ならないが、何でも東京に集中しすぎていると思う。ガソリンはもうおしまい。ベルリンでは日本車はマツダ位しか見かけなかったが、日本でベンツ、BMVを見ると余り感じよくないな。と思うこともあるが次はBMWにしようかとか考えていたこともあったりして。低燃費低燃費。(東京12日1:10a.m.) 

日本の交通網

朝から満員電車、おかしいよ日本。当然人口も多いし、よっぽどドイツなんかより仕事もよくやるのだろうけれど、道行く人の足取りも表情も朝から疲れきっている。とおもいつつ自身もそうだったのかも知れない。ホームの放送や過剰サービスアナウンスが煩い、これが気遣いの文化かな。久方ぶりに東大病院。初診扱いにされたが予想以上に早い診察。担当が若いお医者にも診させる。いいお医者になってね。梅雨空だったが本郷から後楽園まで歩いてみる。楽しそうなお店が沢山。地下鉄を乗り継ぎ九段下へ。靖国神社の鳥居の大きさを捉えながら次の目的地九段坂病院。岩城宏之先生にご紹介いただいた名医山浦先生に3年ぶりに見ていただく。MRIでは何度居眠り仕掛けてびっくりしたことか機械音も心地良い。いずれにしても両病院の検査診察の結果は予想以上に良好で一安心。岩城先生が無くなってもう3年かぁ。楽しい会話にクシャクシャっていう顔をなさった晩年を思い出す。久々の別宅へ。東池袋の交差点も大きな道路が開通しそうな気配。鍵を預かってくれる河合楽器雑司が谷店に立ち寄り久々のよもやまトーク。近所に新しい店もいくつか立つ。さて我が城、7畳のレッスン室は健在。思わずただいま!過ごし慣れた空間はほっとするものがある。ベルリンのあのフラット、次に帰るときはどんな表情で迎えてくれるだろう。家に帰り今夜もお米を堪能する。枝豆にヱビス。たまらん。値段は3倍もする日本のビール、有り難く頂くとしよう。それにしても東京の交通網は良く整備されている。ドイツの方がシンプルで無駄が無い。日本で1つ怖いのは地震だ。いったい今どれだけ地下深いところに自分はいるのだろうと不安を感じた。とにかく街がごみごみし過ぎている。(東京1:05a.m.)

日本のトイレ

ベルリンを6日7時に発ちロンドンはヒースロー空港へ2時間弱。この時点で日本に帰るためなのに少し遠ざかった気分。ターミナル5は広く新しい。乗り継ぎのためなのに手荷物検査がやたらと厳しい。午後の便までかなり時間があったのでいろいろやる。今回の滞在を決めるきっかけになった小生の振る演奏会においでいただきメールを下さった聴衆の男性にお礼のメールを打ったり、少しお土産を求め時間を費やす。スタンドでギネスを1パイント、うーんロンドンでの滞在を思い出すなぁ。BAは少し座席の広いクラスの席だが出発の時点で既に2時間の遅れ。いよいよ成田。田んぼの緑が眩しい。いや暑い、湿気。1時間に1本出ているリムジンで実家から歩ける距離の停留所まで1時間。懐かしいほっとする気持ちとここはドイツぢゃないという認識に揺れる。かつての通勤路を家まで歩くと区画整理で家の周りがこの数ヶ月で様変わり、家の門も初めて開ける。お邪魔しまーすってな感じだ。ショック。お隣さんもさら地になり不思議な感じだ。ただいま!家庭菜園(小さい)のトマトにインゲン、しし唐が見事。早速晩ご飯で料理する。ベルリンに滞在中、日本のお医者へ行く予約やら情報を得てこれからお医者通い週間。いつも舞台の衣装のお世話になっているクリーニング店にずっと海外で着ていたスーツをお願いしに挨拶。使い方の分からなくなった携帯を駆使し、近所の口コミ歯医者に飛び込み虫歯の点検。数年来の不調でもあるあご、噛み合わせ、噛み締めについては早くどこかよいお医者を探さねば。歯は大事だね。家で半年振りの風呂、長風呂の習慣は消滅。汗が引かないんだもん。でも風呂にどっぷり浸かるのは巡りが良くなるのを実感。日本を体感。ウォシュレットに感動、いつもより長居していた。にんまり。

帰ってきました。皆さんまた仲良くしてくださ~い。 (東京12日1:00a.m.)

ベルリンの墓地

今年生誕200年を迎えたヤコプ・ルートヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディはこのベルリンに眠っていることを知り無性に行きたくなった。気が付いたのがこの日曜の夕方。思い立ったら即行動。まだ明るいのだが墓地は何時に閉まるか分らない。既に5時を回っている。とにかく地図を手に目指す地下鉄の駅へ向かう。そこからはほぼ勘で足の向く方へ。いくつもの門が閉まっていて、恐らく入り口を間違えたのか墓地に入り込めない。そこへ楽譜を持った人の流れが見えた。明らかに何かのパフォーマンスが終わったのだろう。その流れに一人逆らって辿り着いたのが、メンデルスゾーンのお墓。隣には最も慕っていた姉のファニーや親族のものと共に並んでいる。真っ白い十字架のお墓には鮮やかな花が手向けられている。来ることが出来て良かった。
小生にとって何かと縁のある作曲家だ。ここ数年で集中して交響曲や「エリア」、合唱作品を手掛けてきたが大好きな作曲家の一人だ。ここに来てしそびれていたことの一つをし得たようだ。ウィーンでもどこでも作曲家のお墓参りは必ずといって良いほどに行っているが、いつものように少しでも仲良くなれたらと願うのだ。今日も勝手にメンデルスゾーンと少し近づいた気持ちになる。数多くの偉業を残したものの38歳での死は早すぎる。生い立ちについて裕福さだけがクローズアップされることがあるが、ユダヤ人であったことによる厳しい迫害を受けていたことは無視できない背景のひとつだ。
家の目の前にある教会を訪れる。鐘の音を聞きながらの生活と共に存在する教会の姿に心強いものを感じる。
お世話になっている後輩のピアニスト沢野智子さんと会食。焼き鳥。
いよいよ日本に帰る日となった。日の出と共に起きなければ飛行機に乗れない。
ベルリンでの多くの出会いに感謝。
ではまた。

ベルリンの晴間

夏の暑さとともに夕立もしばしば。
朝目覚めるとまずベッドから臨む空の色を確かめる。澄み渡る青空のときもあるがそれが続くとも限らない。明るいのだけれど一様に雲がかかっていることもあってむしろ、雨も降らずに落ち着いていることもある。ドイツの天気予報は、申し訳ないが怪しい。朝も、昼も、夜も晴れ、曇り、雨、雷のマークが全て揃っていたりする。好きに選べってか。
このところ、市内で短時間に豪雨が降ったりしているようだ。物凄い雨が降ってるようでも家の中は申し訳ないくらい何も聞こえかったりする。
雨が止んで、その匂いを涼しい風と共に運んでくる。好きな瞬間の一つ、おまけに夕焼け空は何処の国にいても美しいものだ。
恐らく今回の帰国前最後の観劇。ドイチュ・オパーのカルメン。様々な発見も共感もあれど、決して昨年市民の手で創ったそのカルメンの求めるところは決して間違っていないし、むしろ自信を持って打ち出すだけのものがあったのでは、と逆にエネルギーをもらう。
カルメン役のKate Aldrichは端正に良い音楽をしていた。でも同時に日本の伊原直子という声楽家が如何に素晴らしい芸術家であるか改めて実感をする。
ふと音楽ってなんだろうと思う。「超」の付く一流どころを沢山見、聴いて来たがその評価と実際は絶対なものでもない。若い時からこちらの小屋で修業を積んで現場を知り尽くし、音楽を知り尽くしているという演奏家がどうやら全てでもない。当然素晴らしい演奏にも沢山めぐり合えるのだが、皆音楽家は、そこでベストを、良いものを生み出そうと務める。そのタイミングやら気持ちの在りようが全て良い方向に導かれる道を得たとき、物凄い力が生まれる。
それは良く分っていながら、ここベルリンでもロンドンでもいろいろなわけで、だからこそひとつひとつをまた大事に音楽していきたいと改めて思う。
昨日はもう、食材も使い切り作る気力も無くここから程近いFeuerbach str.の行付け「宇田川」さんに食事へ出かける。日本人の団体さんが大勢いると見ていたら「キターー!」はじめ分らなかったのだが、良く日焼けした俳優の織田U二さんがクルーと共に食事していた。どうやら来月のベルリンでの世界陸上のキャスターの仕事のようだ。小生と同い年かぁ。良く焼けてたなぁ。

どうぞよい1週間を。

ベルリンの生活 Ⅲ 調子の良い鍵屋

7月に入って急に夏らしくなってきた。高い空は相変わらずだが、日本を思い出すような蒸し暑さを覚える。
ベルリンの名所や見所は沢山あって、その情報も日増しに増えていく。奥深い。
ヨーロッパで一番大きいといわれるチョコレート店「Fassbender&Rausch」に行って見る。そこはコンツェルトハウス・ベルリンやドイツドーム、フランスドームのあるベルリンで一番美しい広場と言われるジャンダルメンマルクに程近い。地上階の売り場にあるその種類にも驚くが2階には年配の男性が一人でホットチョコレートをすすり、チョコレートケーキを食べながら新聞を読むそんなカフェがある。カカオ70%のそのハイセ・ショコラーを頂く。甘過ぎず美味。
我がフラットの一部屋を借りてもらおうと、ベルリンの情報サイトに投稿したところ沢山反応があった。その中から決めた一人に住んでいただく準備をする。その一つ、寝室と共用スペースをつなぐ扉の鍵を作ろうと近くの鍵屋へ。マスターを渡すと調子よく任せろとばかりに瞬く間に仕上げる。流石ドイツと思いつつ代金を支払い我が家へ。早速鍵穴へ挿し込もうとするがささらない。ん?流石ドイツ。まぁこんなこともあろうとはベルリンでの3ヶ月の生活が何だか分らん余裕を生む。明くる日、軽いクレームを交えて鍵を渡すと、そんなことは有り得ないと再び削り始める。自信たっぷりに渡された鍵を手に我が家へ。おっ入った!抜けない!やっぱりドイツ。3日目、返金をしてもらいに出向くもあのおっちゃんがいない。軽い皮肉を交えて笑顔で中程度のクレームに、お調子者の若いスタッフが彼の仕事をかばいつつ、もうあなたが2度とそのためにくる必要は無くなると削りはじめる。まぁ他の店を探す時間もないしとりあえず委ねる。帰宅してようやく無事鍵が使えるようになった。こんなこと珍しくも無いようだが日本ではきっと有り得ないだろうなと思いつつ、一度でやらんかい。調子の良い鍵屋の一件。
ヘンデルの調子の良い鍛冶屋は小学校の頃発表会で調子良く弾いていた記憶がふとよみがえる。がしかしお調子者の意味ではなく愉快な、の意だったことを後になって知る。
見附のアルカディア混声合唱団が夏彩コンサートを無事に終えたとの知らせ。カルメンをご一緒してからはや1年が過ぎた。着実な活動に嬉しい気持ち。
今夜は夕立はなかったな。少し寝苦しい夜になりそうだ。星が綺麗な夜。

ベルリンの湖

ベルリンに移り住んでからピアノに触れていなかった。楽譜を読むときにピアノを弾かなければならないということは無いのだが、時々弾いて確認をしてみたくなることがある。
人前で弾くことはすっかり減ってしまったが、無性に音を出したくなることもある。
先週注文をした電子ピアノが届いた。それは小さなものだがタッチもしっかりしていてなかなか愛おしい。機能が色々付いているがピアノの音が出ればとりあえずそれで十分。小部屋にスマートに収まった。仲良くしよう。同時に幼少の頃から弾いて来たアップライト、大学時代に購入してもらったグランドピアノは小生の宝物だ。今年の梅雨に耐えているだろうか。

これまで何も知らずに訪れた地について後で知った事実に驚いたり、知らなかったことに恥ずかしさを覚えるようなことが恥ずかしながらあるが、今回もそんな体験をした。
フラットの最寄の駅からおよそ15分電車に乗ったところに小さな美しい湖が2つある。さらにしばらく進めると有名なポツダム宣言の行われたポツダム市、ポツダム中央駅がある。まだ行って見てはいない。いずれ時間を取りたいと思いつつ。その一つ手前にWanseeという湖の駅がある。駅から少し歩くとハーフェル川との入り組んだ広大な湖が広がる。桟橋からは対岸に住む人達を運ぶフェリーや観光船が発着している。2時間かけて周辺を案内するフェリーに乗り込む。水路の両岸は高級住宅地と森が連なりそれはそれは美しい。豪邸を見る度、「それがどうした」だの「何れは我も」と岸辺にヨットやカヌーがつなげられ、そこから良く手入れのされた庭や凝った邸宅につながる一連の絵に邪念も混じる。丁度この季節緑が濃さを増し、水との調和は全てが絵になるような素敵な時空。
その時から70年と経っていないこの現代の歴史に改めて深い衝撃に沈む。ヒトラー政権下で600万ともいわれるユダヤ人の移送、虐殺の計画の最終決定がなされた会議が一つの美しい館でなされたということ。10年程前にポーランドのコンクールを受けた足でアウシュビッツを訪れた時の衝撃と直ちに結び付く。ドイツは負の遺産を教育に生かすべく保存している点を記しておこう。
ふと、思う。しばらく袖を通していないタキシードは着られるかなぁ。ドキドキ。
梅雨の日本を思い出すように今日は28度まで気温が上がり、夜激しい夕立も。
今年も残り半分となった。どうぞ皆様この7月もお健やかな毎日を。



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