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April 2008

レパートリー

飛び石連休のこの日は、何となく街も穏やかな感じ。初台にオーケストラ練習の見学に伺う。レパートリーをどんどん増やしたいと思っているのだが、特にメンデルスゾーンは1番と5番はまだ手をつけていない。シューマンを少し広げたいしシューベルトもまだ幾つかやっていない。そう考えるともっと開拓したいものが際限なくある。それを実現するのは自分の時間とそれを具現するステージ。そのステージは自らやりたいものを取り上げられる環境が必要だが、なかなか難しいことだ。やりたい作品をもっと増やしていこう。オペラシティは小生が一番多く訪れる練習会場の一つ。リハーサル室は天井が低く、長い練習には耳がくたびれるが手頃な空間だ。どうしても目先の本番に向けての研究が続くので新しいレパートリーの開拓をするのは難しいのだが今年度は少し増やしていけるだろう。(長岡13日1:51a.m.)

昭和の日

かつて天皇誕生日だった昭和の日。用事を済ませて大学生時代お手伝いに通っていた滝野川少年少女合唱団のOGやピアニスト3名と会食。それぞれに人生の大きな転機を迎えて話題が多岐に亘る。その頃団員だった小学生がいよいよ結婚だと聞くと嬉しいものだ。振り返ってみると本気で子供たちと向かい合って音楽していたんだな。当時を懐かしんで会いに集まってくれる気持ちが嬉しい。指揮をしながら彼女たちから多くを学んだが、今社会に出て奮闘しているその様子を聞いて頼もしく、またいろいろ考えさせられた。共通の話題はやはり当時の合唱団。創立者の大濱當忠先生の教えが有難く、今その心が大事に受け継がれているかどうかだけが気掛かりだ。連休もいよいよスタートだな。(長岡13日1:14a.m.)

41歳と1週間

何だか早いぞ時間の経つのが。先週誕生日?庭の花も楽しませてくれたチューリップからスナップドラゴンやらモッコウバラが最盛。急に勢い付いた草花たち。いよいよハーブやイタリア野菜の種も発芽し始めて楽しみだ。もっと一日を上手く活用したい。必要以上に寝なくとも充分休養が摂れて当然減りつつある細胞も活性化させたいと思うのだが。本屋に注文しておいた本も手に入り読み漁りたいし、映画もいろいろ見たいのだが、何だか年がら年中そんなことを言っている。以前より時間が取れている実感がまだ無いらしい。今日はダンボール一箱分、物を捨てた。久々に家のピアノの音を出した。凝縮した時間を感じる。次の誕生日までもうあと357日くらいしかな~い。(29日3:05a.m.)

見附の集中練習

前日入りを急遽決めて正解だった。生活のペースが乱れ始めると睡眠と食事が充分バランスよく得られず変調をきたす。眠りが浅いのはどうしたことか解からぬが、今日は恐らく首や腰の職業病から来るしばしばある頭痛が悪戯をしてくる。とは言え朝10時半から夕方まで会場に入るとエネルギーを皆さんから頂いてそんなこともすっかり忘れている。合唱の稽古は休日返上で大勢よくお集まり下さった。アシストをしてくれる阿部さんにも手伝っていただいて、課題をクリアにしていく。ひとつが解決すればその音楽の高みは更に上へ目標を引き上げてくれる。立ちが付く前に出来得る限りの歌い込みをしたい。昼ごはんは帰りの新幹線で美味しいお弁当を頂く。ほっと一息。(29日2:45a.m.)

東京フィル・ファミリーオーケストラ初顔合わせ

ヴァージョンアップした東京フィル・ファミリーオーケストラの発会式。初台のオペラシティリハーサル室にはおよそ3倍の倍率を経て選ばれた74名のメンバーとその親御さんが参集。自己紹介の声も頼もしい。昨年夏にマエストロ・チョン・ミュンフンと共演を果たしたメンバーはおよそ三分の一の懐かしい顔。よりレヴェルの高いオーケストラが産声をあげることになりそうだ。今年は8月18日にサントリーホールでの2回公演に臨む。小生とは7回ほどの合奏をお付合い願う。小学3年生から70代のの男性まで新しいサウンドを聴くのはは次回5月11日までお預け。ファミリーって言うのが良い所だ。皆さんよろしくお願いします。オーケストラの原点はアンサンブル、合わせること、その音もきっと心なんだろうな。最後に一人ひとりの音を少しずつ聴いて解散。物凄い才能が見え隠れ。非常に楽しみだ。その後マネジャーY女史と打ち合わせ。およそ2年先のビジョンを語る。新宿から急遽大宮に出てその足で長岡へ。最終の下りだ。明日に備えよう。(長岡27日1:56a.m.)

滅多肪対策

ショック。体組成診断を受けた。筋力のバランスは特に上半身など極めて良い様だが、どうやら脂肪ちゃんが増加し始めているらしい。先日お世話になったステマネ某「サランラップ」の水野さんは企業人の健康管理を司るそんな部署に配属されたようだが、これはいよいよ体質改善をせい、というお告げに違いない。銀行に寄るもこれまで給料日だった今日、唯一の定収入を得ていた大学から入るものは当然無く、懐も削って行かねばかな?食物の産地を出来るだけ近場でというフードマイレージなんて言葉も聞く。車も控えようかな。でも今からカムリ君に乗ってガソリン飲ませて江戸川に帰って、先ずヱビス。これは変わらないんだよな。車置いて歩いて帰って水飲んで寝るか。いやだぃ!せめて第3のビール美味しい銘柄探しでもするか!戦え!内臓脂肪蓄積型肥満!皆様ご健康で良い週末を!(池袋26日1:23a.m.)

帰京

長岡駅前で売っている鯛焼きを全4種求め、一路東京へ。一つの演奏会が終わるといつの頃からか次のステージへの気持ちの切り替えが早くなった。でも今回はちょっと引きずっているかもしれない。考えてみると今月の本番は今回の公演のみだったからかな。とは言え複数の本番の準備を如何にそのテンションをイメージしながら上手く進めるかということもプロの音楽家の大事な能力かも知れない。クライバーのようにやりたい本番だけつとめる立場なら別だろうが。家に帰って先ず庭に咲くモッコウバラの良い香りにほっとする。早速着替えの山を開く。手紙などが沢山。星の数ほどある作品との出会い、どんどんレパートリーを拡げていかなければ。当然深さを求めつつ。(池袋26日1:00a.m.)

プラハ「モーツァルト:レクイエム」長岡・新潟組初回練習

東京には暫く帰っていないような気になり始めた昨今、なぜなら着替えが底をつき再び衣料量販店のお世話になる。昼間はカルメンのソリスト稽古、リリックに出る。財団の事務局も顔ぶれが少し変わる。お腹が空き新しいショッピングモールに歩いて出掛ける。広い。でかい。夜は標記の合唱団の初回練習。先週は東京で発会式に出席したが、長岡では新潟からお出でのメンバーも交え早速全曲を通す。練習の進め具合もこれから調整だ。いずれにしても小生は月1回長岡に伺う。東京は練習日に充てている土曜は既に塞がり7月の合同練習まで伺うことが出来ない。ブノアを歌った面々も参加、少しお疲れだった様子。新潟からは新潟響との第九演奏会で2年ご一緒した市内の3つの合唱団や個人参加の方が見えた。嬉しいなぁ。皆仲良くサウンドを練っていきたいものだ。楽しくやりましょう。モーツァルトは名曲だ。東京の義人さんのぎじん会みたいの作らないかなぁ。東京に合唱団創りたい。と思ってみた。今朝の日報にブノアの記事と写真。やっぱりみんなでベルギー行きますか!?(池袋26日0:43a.m.)

見附カルメン初回立ち稽古

また書き溜め。過去を埋めなくては。。(4/22)再び長岡にチェックインをして頭を切り替える。みつけエクスプレスで市役所に出てアルカディアへ。既に菅野宏昭先生による合唱稽古。この日は打ち合わせのために合流。一緒に歌うつもりでいたが、そうは行かない。早速ちょっと時間を頂き音楽稽古の後、早速カルメンの立ち稽古となる。小ホールを区切って大ホールの舞台に見立て1幕の合唱の流れを追う。ここで暗譜が問われるが男声はなかなか健闘。臨場感が掴めて合唱のメンバーも楽しい雰囲気。このまま勢いに乗って本番まで行きたいと願う。夜は10時から角屋さんで諸々の打ち合わせ。送り届けていただいたのは2時近くになっていた。ボランティアスタッフが必要だ。(池袋26日0:28a.m.)

The 41th Birthday

朝からというより未明の2次会頃から引っ切り無しのメール。これが小生の41回目の誕生日をお祝いしてくれるものと「ブノア」の良かったメールと相俟って喜びも激甚。頂いたプレゼントや手紙、それに額に入った肖像画を眺め、一人3次会を飲りながら明け方眠りについて条件反射的にビュッフェに行ったものの、義人さんとか佳苗ちゃんとかいたようだけど、何を食べたのか覚えていない。気が付くと誕生日だったわけで、ふと考える。1日オフを与えられた。連泊中のオータニをキャンセルし、当てもなく車を借りて県内を走る。行き着いたのは弥彦神社。ご利益があるとか無いとか良く知らないが、かつて両親を連れて温泉にも行ったり亡き義姉と共に合唱団の仲間たちとも訪れた思い出のあるところ。そう言えば除夜の鐘は突いたけれど、初詣も厄除けもしていない。誕生日こそと思い立ち先ずは行ってみる。祈祷受付所みたいなところで尋ねると、あった、厄除け祈祷。これが安いのからお高いのまでまぁ色々揃ってるのね。松竹梅なんてのは無かったが、6種類くらいはあったかな。ちょっと奮発して響きの良いネーミングのものにする。控えで暫し待つこと5~6分。巫女さんに導かれ御本堂へ。スケールの大きさに圧倒される。太鼓と笛、2人の巫女の舞、そして宮司の有難い祈祷を頂く。音楽あり舞ありとちょっと感動的な時間。こんな誕生日も良いかな。何も無ければ何も無いとは言え、激動の41歳には違いなく、どこか気にしていたので少し楽になった。矢や御札、お神酒などを頂いて「あのぅ、家に祭壇とか神棚とか無いのですが。」いろいろ説明を受けて神社を後にする。今年は冒険の年だけに、何だか力になった。夜まで続々とメール。みなさんありがとうございます。(26日池袋0:18a.m.)

日本初演「ブノア盛儀のミサ」in長岡

記念すべき日本初演のステージ。1200を越す大勢のお客様。長岡市民合唱団が主催する定演ではかつて無い規模の演奏会となった。22歳の頃から通い始めて18年、色々な楽しいステージを共にしたが、これほどまでに団員の気持ちも歌も一つのベクトルに向かって想いが集まり、良い形で絡まったことはなかったように思う。コンクールで勝たせるような合唱は端から考えていないし、愛すべきこの合唱団の色んな才能を持った一人ひとりが本気で歌ってこそ面白味のある味わいのある人の声の集団としての「合唱」、共に歩んだこれまでの一つの結果でもある。土の歌は日本語ならではの難しさの上に、他人事では無い重みを持った歌詞ゆえの歌。後半へ。ブノアは法政OBさんとの出会いも共に揉んで創り上げたもの。多くの人の心と労が皆の歌声に乗った。スペシャルサンクスは書ききれない。第一発見者、監物春夫さんを始め合唱団員の溢れんばかりの才能の数々。東京シティ・フィルの諸兄姉、オルガンの伊藤佳苗さん、テノールの小原啓楼氏、そして何といっても合唱団の声を懸命にベストへと導いて下さった山本義人、誰もが認める日本のブノア研究者、指揮の小澤和也とこの両氏の直向な積み重ねなくして本番の成功はあり得ない。心から感謝している。打ち上げも凄いことになっていた。1日早い誕生日のお祝い。幸せもんだ。(25日池袋23:42p.m.)

オケ合わせin長岡

長岡は比較的穏やかな天気。提灯はまだ残るも駅前の桜は散ってしまった。近くの衣料量販店に慌てて練習着を求めに行く。前日に使い果たしてしまったから。リハーサルプランを考えながら会場の長岡市立劇場へ。立派に舞台が出来上がっている。決断してよかった瞬間。2つの大小合唱をあの空間で如何に効果的に鳴らすか。それが出来ればこの作品の意図を伝えることに半分は成功したようなものだ。4時半から一コマオケのみ、続いて「土の歌」、長めの休憩を挟んでブノア。結局9時前までやったのね。合唱が集まり費やせる時間、スタミナ等気にしながらも、この日出来ることは全てやらなければという感覚。オルガンの伊藤佳苗さんやステージの水野さんにも助けられ一回目のオケ合わせということを考えればまずまず。ソロの小原氏も良い。がしかし本番は明くる日一回のみ。とにかく音楽に専念。リハを終え夜は近しい仲間と軽く1杯。(25日池袋23:01p.m.)

江東区文化サンター

大荒れに荒れた東京。11時のリハーサルにぎりぎり飛び込む。昔良くPVMオーケストラとか、アマチュアオーケストラの練習で使っていた標記のホール。2年ぶりだろうか東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の皆さんと再会。同級生や先輩・後輩、懐かしいメンバー見附にお出でいただいたり個人的にお付き合いのある方もいるフレンドリーな気持ちの良いオーケストラ。4コマを頂き、殆ど全てをご一緒させていただく。考えもしていなかった予期せぬ事態もあったが、そこは本番に向けて突き進むのみ。いつもになく汗だくになりほぼ脱水状態。東京駅まで移動し、ときに乗り込む。ホテルに荷物を投げ込み急いで市図書館に。最後の5分、市民講座を聞く。ベルギーからの来客ヤン・デウィルデ氏の講演会。挨拶だけ交わしホテルで肉を食し休む。(25日池袋22:51p.m.)

池袋のオフィス

昔イタリアで買ったお気に入りのジーンズを暫く履いていない。というか履けない。悔しいので先日久々にジーンズを求めた。実はそれは全ての解決にはなっていない。サイズが1インチ大きくなることの意味を知ってはいるものの、店員と既に一つ大きいサイズとその更に一つゆとりあるサイズのメリットとデメリットについて語り合う。答えは出た。丈を詰めてもらい早速家に届く。夕方池袋に出向く。この部屋を持ってから何年になるのだったろうか。いろいろな思い出もある空間だ。プロジェクトもここから発信してきたし我が城だ。昼間は時間貸しをしてきたが、心無い利用者に辟易としている。ごみは仕方ない。物がなくなるのも致し方ない。物が壊されて放置されている。音楽を愛する人が使って下さっていると思っているのが間違いかな。そろそろ考えよう。誰かこのオフィスを小生のオフィスとして本気で稼動させてくれる人はいないかな。ピアノあり、パソコンあり。それだけ。(池袋25日22:41p.m.)

見附エクスプレス

写真1枚貼って終わりって言うのは?どうかなぁ。。追いかけ書き中。。いつも気まぐれ日記にお付合い下さり有難う存じます。(4・16)朝長岡駅からみつけエクスプレスに乗って、見附市役所へ。事前に秘書課に電話を一本入れる。久住市長と久々に会談。カルメン公演への協力要請、小生の拝命している見附市音楽プロデューサーについて。小生が伝えたかった要旨は市が小生とどこまで何を進める気持ちがあるのか、その市長の思いを確認したいということ。理想論は良く理解したつもりだ。何をやるか何が出来るのか。ホールは民間、あとは市民と市役所でやれることを論ずるしかない。残された時間はあまり無いのだから。会談を1時間位のつもりだったので午後の全ての予定をキャンセル。提言を投げよう。レスに期待。(25日池袋22:28p.m.)

再び満開

今年はいつもよりも桜に出会う時間を多く作れて幸せだ。見附カルメンの合唱稽古。市の中央公民館に咲く桜は満開。思わず見入る。人数に対して手狭な空間、でも良く聴き合えてよく響く。一回の練習でしっかり歌い込んで共に納得しながら進めるには時間が余りにも足りない。でもやるしかない。お一人お一人の意識がもっと結集しなければ。色々な方の想いが詰まったステージになる。オーケストラのメンバーを早くしなければ。どこのプロダクションにも頼らず、手作り感満載。それだけに大変だけれど見附に一番相応しいやり方だと思う。長岡の駅前で一人居酒屋する。季節のものがやはり美味しい。(25日池袋22:05p.m.)

通し稽古in長岡

構想から2年、1年がかりで歌い込んできた長岡市民合唱団の定期演奏会前最後のリハーサル。長岡にリリックホールが出来てからその大半を第1スタジオで行ってきた。80余名の団員にとっては丁度良い広さの空間。プログラム順に「土の歌」、「ブノア」とほぼ通しながらの稽古。今回何故いつも以上に時間が足りないかというと、7つと6つに分けられるそれぞれのパーツの音楽的な内容の充実、総じて歌う分量が多いこと、そして嬉しいのは音楽的に更に応えられる合唱団に成長していることだ。ただ通しても1時間以上になる。まだまだ当然やりたいことはある。団員諸兄の歌い込んだ量、体力、精神力、そして音楽を歌を、更には各々の合唱団や仲間を愛する度合い見たいなものが結して本番を迎える。小生の中には既にあるイメージがオーケストラ、ソリストと共に会場の空間にどのように広がりを見せるか、楽しみだ。(池袋25日21:47p.m.)

プラハ演奏旅行結団式

今年の11月初旬にプラハのスメタナホールで指揮をする。その演奏会のメインプログラムであるモーツァルトの「レクイエム」をご一緒する公募合唱団の発会式。3年前このブログのメインフォトにもなっているウィーン・ムズィークフェラインでのヴェルディ「レクイエム」でご一緒した際に発した「3年後是非また、」という願いを今年秋に。先回ご一緒したメンバーの他にも新潟や江戸川でご一緒した方々や、更に東京のステージでお付き合いさせていただいた方、今回も合唱指揮をお願いした山本先生を崇拝する方達と総勢120余名の合唱団としてスタートを切った。年明けから既に初心者向けの譜読み稽古は進んでいたためか、早速山本氏による細やかな指導がなされる。合唱団の声の色と質、それはそこに集った方達の意識で決まる。当然指導者がその方向を決めていくのだけれど、毎週あるその練習の集いが味わい深い合唱のサウンドを熟成させる全ての鍵だ。(25日池袋21:34p.m.)

穏やかな土曜日

あれこれやりたいことがあり過ぎる。やりたいこととやらなければならないことを如何に戦わせるか、モチベーションを高めるという意味において極めて重要だ。厄年になって初詣にも厄除けにも行かなかった事が、キリスト教でも仏教でも神道でもないあやふや日本人の小生にとって何となく拠り所がないような、そんな不安に駆られる。日々の「よっしゃ!」は数種類のメールで届く占い。いつからそうなったのだろうか。でもそれすら見ないほうが良い日は当たるもので勝手にバロメーター化しているらしい。お勤めしていた間の最後の受験生から、入学式で答辞を読んだこと、その上奨学金まで授与された旨連絡がある。素晴らしい。誇らしい。充実した学生生活を期する。思い出すなぁ、あの頃を。いつもだと、始まっちゃったとか言いながら新しいサイクルを作ることに躍起になっているのだが、今年は様子が違う。寧ろ自分が新入生のようだ。新しい時間を生み出さねば。(25日池袋21:00p.m.)

旧友との交信

付属高校時代の同級生から自分のトレーナーとして務めるジュニアオケの指揮をしてほしいとメールが入る。更には高校から大学卒業までお世話になったピアノの恩師、竹中碩子先生のお宅に毎年集う会のお誘いが来たり。覚えていてくれるだけでも嬉しいことなのだけれど、こうして音楽で繋がっていられる環境に感謝したい。残念ながらいずれも先約が入ってしまっていてお断りすることに。上半身だけでも伺いたかったのだが。高校大学、研究科の9年間できっと沢山の出会いがあったのだが、今なお交流があるのはごく限られた人数でしかない。それでも私のこと覚えている?とか、突然演奏会に足を運んでくれて再会できる時、音楽をやっていて良かったと、思う。恐らく母校は今日辺り入学式というのを行っていることだろう。そこでも新しい出会いが始まるのだな。(25日池袋20:44p.m.)

20年の蓄積

引越しをして早20年。丁度大学生の頃だったわけで始めてグランドピアノを手にしたときにかつて庭だった今の土地に移った。余りにも膨大の思い出の残る当時の家は今や駐車場と化し記憶の中にのみ面影が残る。きっと音楽で身を立てると考えていたに違いないのだが、新しい家へは前の家にあった楽譜やらをそのまま運び入れた。月日は経ちその我が城(レッスン室)からは多くの生徒が芸大や音大に進んでいった。指揮の活動がメインになりかけた頃から、突然蔵書の量が増え始める。そして20年経った今、既に手に負えない状況。継ぎ足した3畳の書庫も燦燦たる状況。でもこのままではいけないと、立ち上がる。が直ぐ座り込む。物を捨てることに勇気の居る人種らしい。(25日池袋20:21p.m.)

葉桜

携帯のカメラで花を撮りまくり。ブログに残したいのだが未だ使い方がわからへん。東京はすっかり葉桜。その新しいやわらかい緑色も毛虫君の登場まではなかなか良いものだ。少し前までは大学の入学式に桜の花があったような記憶があるのだが、年々咲くのが早くなっているのかな。打ち合わせやメールのやり取りが増えてきた。少年少女合唱団を教えてた頃の生徒さんも良いお年頃、きっと何かよい報告をしてくれるに違いない。今でも同級生や当時の団員さんから近況やお誘いが来るのは嬉しいものだ。すっかり滝野川の合唱団も変わってしまったけれど若い世代に良い音楽を届けたい想いを抱かせる気持ちのその原点。あの時の情熱とかクリエイティブな気持ちは今も変わらない。(17日1:52a.m.)

見附の自主練習

実は時間が足りない。自分だけのことなら自分で生み出すしかないが、見附のカルメン、これだけ素敵なプロジェクトに発展し、文化庁からも助成の採択がなされ後は演じられ奏でられる全ての音楽のクオリティーをどこまで高められるか。自主練習にお付合いする。男声のみ1時間、そして女声と共に。とにかく回数歌いこむこと、その一回を皆で大切に音楽すること。15年の集大成。もっともっと。長岡福島江には早速ちょうちんがぶら下がっていた。桜。(17日1:35a.m.)

新潟の桜

東京の桜はもう終わりに近づいた。長岡の定宿の脇を流れる福島江の桜はいよいよだ。人が自然と華やいで見える季節。15年来のお付合いのホテル、いつも山の見える部屋を押さえて下さる。悠久山や守門岳もくっきり。長岡に温泉があったらいいのになぁ。いやっあったぁ、震災前は何度か山古志に近い蓬平温泉や、成願寺温泉にも足を運んだなぁ。2度の地震を経て長い冬をまた乗り越えて訪れる春、厳しい想いをされた人たちにとってせめてもの癒しの桜であって欲しい。ブノアの初演に向けてベルギーのフランドル交流センターや遙々アントワープ音楽大学から図書館長が見えることになった。盛儀のミサも然り土の歌の、祈りの音楽として合唱団の団員諸兄の想いが込められる。昨日放送されたNHKFMの反響も届く。東京に引き続いて新潟でも桜を味わえるなんて結構幸せなことぢゃん。(17日1:28a.m.)

長岡集中練習

関越トンネルを通って新潟県側に抜けると冬の間別世界だったものが、徐々に雪も融け山肌が浮かび上がって来た。昼過ぎに長岡について見附に移動。珍しく見附での練習。長岡の本体に加え東京から20名近い法政OBが駆けつけて下さる。ブノアと土の歌の両曲。サウンドが集まってきた。前回の東京での合同練習ではまだ声が仲良くなれていなかったが、ここに来て色も寄ってきた。いよいよあと一回のみ。結局一人ひとりの意識が高まると自然と音楽は動き出すのだ。夜は駅前のビアホールで皆さんと暫し歓談。お酒が弱くなったのかそんな症状。午後4時間の練習はあっという間だった。やりたいことはきりが無い。時間との戦いだったな。(池袋13日21:27p.m.)

赤玉土

早く行きたいと思っていた近所のホームセンターへ母親と出掛ける。途中仕事の郵便物を本局に出しに立ち寄って。お目当ては「土」。プランターにそろそろハーブだの健康野菜だの種を蒔きたくてその土を求めに。すると、色鮮やかな花の苗が誘惑してくる。まぁ二人でよく我慢したものだ。選びに選んで5~6鉢のみで手を打った。「土」と言えば鹿沼でもオーケストラの演奏会をしたなぁ。そして20日に長岡で「土の歌」。美味しいお米や野菜がとれて、山や川の恵みと共に震災や水害と大自然の厳しさを体験している長岡の人たちにとってはまさに実感を持って言葉にし歌う作品だ。大地と言えば、車で走らせた北海道やポーランドの郊外をいつも思い出す。母なる大地、讃えよ大地を、あ~!(池袋12日23:45p.m.)

桜満開

打ち合わせの合間に都内を歩く。実は地下鉄の便利な町だ。外国でもウィーンやミラノもそうだし、プラハやブタペシュトは路面電車が発達している。そう考えると東京は実に交通網の発達した街だ。家の最寄り駅からから30分で築地市場へ。一度立ち寄ってみたかった浜離宮の庭園に足を伸ばしてみる。寧ろ時間差で咲きかけの桜や菜の花畑が広がる、都会のオアシスだ。実は東京に住みながら良い所を知らない。せめて外国からの来客を案内出来るおすすめスポットを見つけておこうか。隅田川沿いはこれまた桜の見事なこと。仕事を早めに切り上げたか、言いつけられたサラリーマン諸兄が宴の準備。ちと寒そう。長岡の小学5年生に聴いてもらう演奏会と大人向けのコンサートの概要が決まった。チラシの準備。(池袋12日23:31p.m.)

チューリップ

秋に大分に送った球根の残りが家の猫の額庭に咲いた。愛らしい。この暖かさで一気に草花が芽吹き花開かせる。大分芸短のY先生が羨ましい。学校の美化を兼ねて菜園までやっちゃうんだから。どこか土地のある学校で呼んでくれないかなぁ。とまぁ庭付きの一戸建てを立てれば良いのか。いつの日のことやら、最近別に予定もその気も無いのに折込にわんさと入ってくるマンションや住宅のチラシを眺める。都内のよさ気なそれは夢の夢だ。でも夢は持ち続けようじゃないか。ぼちぼちまた色々演奏会のお話を頂く。見附のカルメン、自主練習日を奪ってお付き合いをすることにした。練習好きなんだよね結局。真っ白いチューリップに続いて赤いのが待機。一日でも長く咲いていて欲しい。(12日池袋23:17p.m.)

新年度メール

前夜の見附の皆さんとの話し合いは夜中にまで及び、朝は少し遅めに朝食。そのため伊原先生とはすれ違ってしまった。4月に入ったことで方々から新年度ご挨拶メールが届く。異動になった報告や小生の動きを察知された方から沢山メール。母校の指揮科には新入生6名が入学予定、そのうち小生が見て来た生徒さんが入学式で答辞を読むとのこと。嬉しい知らせ。そう言えば自身東京音大の高校と大学の入学式で宣誓をした記憶がある。それこそ化身かな。大分の芸短はチューリップが奇麗に咲いているようだ。学生さんから写メール。学校関係でお世話になった方々にご挨拶をと考えていたがいずれも一端の非常勤。自然と居なくなったと、敢えて絶つことはしないことにしようかと思う。それにしても4月、良い季節だなぁ。東京の桜は満開だ。(池袋12日23:00p.m.)

エイプリルフール

新年度のスタート。早速今日は見附へ。先日来連絡を取り合っていたアルトの伊原直子先生が急遽見附入りされるということで、準備を整える。夕方ホテルでお目にかかりご一緒に見附へ。合唱のリハーサルの様子をご覧頂いた。途中合唱団に混じってカルメンを演じ歌って下さる。もうそれだけで場が、音楽の渦が皆を一つに巻き込む。何というオーラだろうか。お茶目な先生は伊原直子のそっくりさんで~す。何てエイプリルフールのようなことを言ってみたり。この土地をそして合唱団の皆さんを愛して下さる先生とこの7月にカルメンの舞台をご一緒できる幸せは、小生にとって今年の一つの目玉だ。合唱の皆が自然と向かう方向を得たようなリハーサル。練習後は昨年末以来動いているホールのことや、小生自身のこと、このアルカディア音楽祭のことを話す。15年って結構長いお付き合いだな。町がそれをどのように見てくれているのか未だにわからない。新しい年度になって使えなくなった名刺を新たに作らねば。(池袋12日222:09p.m.)

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