永遠の花

どこも合唱の活動は困難を極めている昨今、本務校の授業はあらゆるリスクを回避する方法を探りながら、今期の終盤を迎えた。音楽科以外の学生さんに合唱を通じて音楽を伝える授業では、昨日はクリスマスの讃美歌を取り上げた。ここまで無事進めて来られたのは、多くのスタッフのお陰だ。学生の歌声を聞き、座学に方向転換せずに行ってこられたことを有難く思う。音楽科の合唱は、ラターの「永遠の花」を取りあげて頂いた。長岡で混声で歌ったあの時の想い、作品とその原詩から、再び込み上げるものがあった。春には震災から10年?人の心に寄り添える音楽の力を信じよう。歌声はやはり良いものだ。今年のクリスマスの礼拝は歌の無いものとなった。無念。このままでは、あのかつての日常は遠のいてしまう。もはや同じようには歌えないのだとしたら、あの感覚を取り戻す、近づく方法を見出さなければ。穏やかなクリスマス、安寧な年の瀬を願う。

見附のピアノフェスティヴァル

観客を迎えてのステージはいつ以来だろうか。タキシードに袖を通す感触、スポットライトの中を歩く感覚、共演者と音を生み出す緊張感、どれも特別ながら日常でもあったはずのそれら全ての感覚が呼び覚まされる。フェイスシールドをつけながら、真剣勝負の時間を共有する。本当はこのホールで、もうすぐ「第九」が行なわれていたであろうことを思うと、無力感に苛まれる。前日は、夜にかつて行き付けだった駅前のお店で美味しい魚を頂いた。これから足を運ぶことも少なくなってしまうのだろうか。毎週月曜日に大事にお付き合いさせて頂いて来た合唱団の練習を終え一人反省会をしていた頃を思い起こす。ライトを消すと真っ暗闇になってしまう関越道を走らせる。今日の小さなピアニストたちには、音楽を一生の友達にして欲しいと願うばかりだ。メンデルスゾーンの3重奏、良かったなぁ。23日

宮城・仙台からの発信 ベート―ヴェン「合唱幻想曲」

映像作品公開のごあんない

 

今年もあと2か月となりました。
本番の高揚感や緊張感、そこに至る準備のプロセスを日常としていた、あのような時間が
遠ざかって行ってしまわないうちに、少しずつでも好転していくことを実感したいと願う今日この頃です。

ご縁を頂いて、通いはじめて6年目の今年、音楽を学ぶ学生さんの通う、音楽科のある総合大学は、
春から全て遠隔で、私は東京から授業をし、9月より一部の対面授業を再開しています。


このベートーヴェンイヤーの秋、ひとつの挑戦をいたしました。

 

宮城学院女子大学学芸学部音楽科  

多重録音録画によるベートーヴェン「合唱幻想曲」

「今を、音楽と共に生きる」音楽を学ぶ学生たち 宮城・仙台からの挑戦~

http://www.mgu.ac.jp/main/departments/gakugei/mu/movie/

 

どうぞご高覧下さい。

密を避けた制約のある演奏環境の中で、試行錯誤とともに辿り着いた、学生の学びの成果を形にすること、
その瞬間に、出演者全ての音があるわけではなく、様々な組み合わせによって4日間の収録を重ねて、
ひとつのステージを作りました。
個人が家や音を出せる環境で録画を集めるというものではなく、殆どは同じ会場(大学講堂)での収録は、
面白い試みでもあったといえましょう。

対面による「レッスン」が音楽における教授の基盤でありながら、殆どはオンラインでしか伝える術を持たない。
しかしそのような中で、学生は音楽の中で自身と向き合い準備をし、音に、声にして
ステージで再会をしました。
素のままで、取り繕うこともない、その集められた音源をパッチワークのように、ミルフィーユのように重ねあわせた、
その音は、外したところはあっても、ひとりひとりの音楽そのもので、何よりも輝いて映ります。

これから続いていく若い人たちの音楽のシーンが、決して夢の無いものになってはならない、と、
この春、入学した学生の担任を初めて務めながら、その想いはますます強くなりました。
今できること、その役割を全うすること。その葛藤は直向きに学ぶ学生によって、
応えていきたいという活力に変わっていくのです。

同時に指揮者としての歩みの中で、この先どのようになっていくのだろうか、
日本のみならず、世界の音楽シーンは今後どのように育まれていくのだろうか。
切実です。自身はあと、幾つのステージを遺せるのだろうか。

いつものステージと同様、時間の中で結果を出す。その意味では変わらぬ部分もありつつ、
教育現場でもあるこの環境。テイクごとに換気や、衛生管理をしながら、
否、150を超すテイクは通常ではあり得ないのでしょう。
画像に写し出す私の指揮は、ロボットと然程変わらないのではないかと思いますが、
何かその平面から伝わっているものがお互いに高め合っていく「気」の一つに変わっていたならと願うものでした。

純粋に、この学生たちの存在を世の中に広めたい、とそう思います。
仙台の、この学舎の環境の良さと、そこに「音楽」があることを静かにアピールしていきたいと思います。

べートーヴェンの音楽はこのような状況にあっても、
常に側に寄り添って、共にありました。

作品と、そして全ての共演者との出会いに感謝をもって。

 

ご視聴いただけましたら幸いでございます。

みなさまの、安全とご健康をお祈りいたします。

 

                                  船橋 洋介

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こいのぼり

この数年、週に1000キロほど走らせていた愛車も最近では街乗りばかりで、どうも力を発揮できないでいる。本番の後の心地好い疲労感とか、燕尾服に袖を通す感触のようなものは、それを客観視するように日常から離れてしまっている。指揮のレッスンを再開するも、息遣いの乗らないオンラインは、音楽にはそぐわないようだ。月に何度か頂いていたステージや大学の授業、合唱団の指導など「指揮をする」というあの行為、感覚、肉体と精神の関係性はどのようになってしまうのだろう。今年は自宅のチューリップがきれいに咲いた。勤務先の庭に昨秋植えた球根や、手入れも届かなかった芝桜も、今が見ごろとなってfacebookに飾って下さった。学生に見せたかったな。いよいよ新学期、どうやって音楽を伝えて行こうか。さて我が家の「こいのぼり」4回目の今年はいつもより少し早く出して五月晴れの風に乗ってたくさん泳がせた。ここから授業配信!心からの音楽を求めて。

今日の青空

その日の気持ちに同調するかの天気だったり、まるでがっかりな関係のない空だったり。今日はどちら寄りだったのか、平静を保とうにも気忙しい我が誕生日。思いがけないところから、お祝いのメールやラインが届いた。覚えていて下さって有難いことだと思った。かつてお世話になった方の訃報や、教え子の幸せそうな近況に、こんな混迷の中にあってもその、人の営みが、そしてまず何よりも命が大切なことを、改めて強く思う。経済よりも前に命。保証もなくずるずる7割?「文化は、良い時にのみ与えられる贅沢ではない」そういうドイツのようなリーダーはこの国には持てないのだろうか。今、音楽に何ができるのだろうか。立ち止まってはいられない。今、唯一残して頂いている教授職としての役目は、これからの若い人たちと音楽のあり方を前に向けていくことでしかない。今日の空は、それなりに青かった気がする。このページもまだ閉鎖されていなかったようだ。自分で閉じない限り、恥の上塗りは続くのかな。家族と共にケーキを頂いた今日という日に感謝。

 

 

«感謝をもって